畜産動物は、最終的に人間に殺されて食べられますが、生きている間の福利の向上を目指しています。これは現状で殺処分を避けるための取り組みの対象になっている犬や猫とは異なります。畜産動物も内面的な豊かさをもつという点には違いがないのに、犬や猫と扱いが異なるのはおかしいという意見もあると思いますが、犬や猫と異なり身近に接することが少ないので、その内面を考慮する機会がこれまでなかったかもしれません。動物福祉(Animal Welfare)の考えを重視する必要があります。
また、「生物は皆同じ命だ」という考えで、動物を食べることの是非を考えると、植物も、人間が生きていくために犠牲になっているのに、植物を食べることは許され、一方で、動物を食べることは許されないという論理は正しくないと言われるかもしれません。しかしながら、動物は、植物とは異なり、人間が喜び、興奮、期待などを自分や他者のなかに見いだしていると同じ内面が動物もあると考えると、その特徴を尊重することが重要ではないしょうか。動物の死と植物が枯れることを同等とは考えられません。畜産動物を育てるためには大量の植物の命が必要で、人間も健康に生きるために動物を殺して食べることが必要だとしても、動物を食べるのは本当に必要な分だけにして、人間が植物を主に食べるようにすれば、動物の犠牲はずっと小さくできます。少しでも動物の犠牲を減らそういうのが動物倫理では重視されます。
畜産動物は食べられることを想定して改良もされているので、動物の被る苦痛を知りながらも、食べるために殺すことに疑問を感じないかもしれません。そして、畜産動物は食べることが認められているのに、倫理的に考慮すること自体に反発を覚える人さえいるかもしれません。しかしながら、畜産動物であっても、個々の幸せがあり、内面をもって生きているのは事実で、人間と同じ特徴をもつ存在に対して、人間が利用するための単なる道具とみなせるかどうかを再考する必要があります。内面をもつ存在として動物を理解することが、肉食をやめるべきだという判断に直ちにつながるわけではありませんが、倫理的な観点から動物の扱いを考え直す必要があるということは事実です。動物倫理を考えることによって、動物の苦しみや喜びについて真面目に考え、人間の考え方の中にある齟齬を少しでも解消し、私たち自身の誠実に生きようという姿勢につなげたいと考えています。現在、実験動物の取り扱いについて、社会的にも生命倫理や動物愛護の観点から見直が行われ、法的規制や学会等から実験指針が出されています。