女子校は今の社会でも必要なのか
1990 年代半ばから「少子化時代の生き残り戦略」として多くの学校でコース制の導入やパソコン整備、校名変更、共学化などの学校改革が進められてきた。岡山県内の私立高校は24 校あるが、今や女子校は2校のみになってしまった。全国的にみると公立の伝統校と女子大をもつ学校、中高一貫の進学校が残っているが、今や女子校はマイノリティでしかないというのも事実である。男女共同参画を目指す共学校を標準とする社会で、女子校が存在する理由はあるのだろうか。
日本の合計特殊出生率は2005 年に過去最低の1.26を記録した。少子化と高齢化が経済に大きな影響を与える時代に突入している。きっかけの一つは女性が子どもを産まなくなったことだが、女性が子どもを産めば解決するような簡単なものではない。ライフスタイルの変化やそれを支える社会サービス、医療技術の進歩など、原因は複雑に絡み合っているからである。ただ言えるのは、女性が社会構造に大きな変化を与えている時代になってきたということである。そして、それをネガティブにとらえるのではなく、女性パワーを取り込んだ社会システムの構築を必要とする時代になったと考えるべきである。集団主義が強かった日本で、個人の価値を高めることができる好機が到来したのである。これからは社会を「少子化仕様」にするという発想が必要で、人口減少のマイナスを生産性の向上で補う構図が必要になる。「女性の才能を伸ばすことを制限している」「子どもを産み育てにくくしている」構造に風穴を開けるような変革が必要で、それを下支えするのが学校教育であると考えられる。
性教育で、女性の人権は大きなテーマになっている。理科教員の立場で考えると、日本は国際的な比較でも科学分野で活躍する女性が少なく、大学での理系学生、研究者も極端に少ない。そもそも高校での理系選択者そのものが少ないのだ。理系女子が少ない理由を考えたときに、学校教育に原因があるのではないかと考えるようになった。つまり、旧来の「男らしさ・女らしさ」というジェンダー形成の過程で、日本では女子が科学を学ぶ機会(理系分野で活躍する機会)を失われたのではないだろうか。それならば、「女らしは無駄であったという意見もあるかもしれない。しかさ」の形成のために封印された理系志向をよみがえらせ、リーダーとして活躍できる女性を育成する教育が必要になる。そこに、「女子校」という教育環境を生かした、新たな教育プログラム開発の可能性が見えてくる。女子校の構成者は女子生徒だけで、生徒会活動や実験・実習等すべての教育活動において女子がリーダーシップをとらざるを得ない。そのことを、女子校はリーダーシップを養成し、積極性を身につけるのに適した環境と考えることができる。「女子校」の教育環境を理系進学支援に生かせると考えた。