『ヴィクトール・フランクル それでも人生には意味がある』(勝田茅生著)NHK出版 p70-71より抜粋
ロゴセラピーでは、人間を単なる因果関係でとらえることはしません。「何らかの原因により結果が出る」という因果関係のメカニズムは、動物が何らかの刺激に対して本能的に反応するのと同じような、二元的な考え方だからです。
フランクルは、人間と動物とを厳然と区別しました。人間は、何らかの原因に対して、動物とはまったく異なる行動をすることがあるからです。
たとえば、人間は自分がどれほど空腹でも、他の空腹な人に最後のパンを差し出すことができます。動物だったら、通常はあり得ません。「おなかが空いた」という苦痛があれば、自分のパンを食べて苦痛を取り除くという反応を示すでしょう。
しかし、人間は心と体の苦痛を乗り越えて、他の人を助けるという「意味」のある行動を取ることができます。このような現象は、単なる「原因と結果」の図式だけでは説明できません。だからこそフランクルは、心や体を超越する第三の次元、「精神」があると考えたのです。精神が心と体の快楽欲求を抑制するからこそ、「意味」 のある行動ができるのです。
この人間の特殊性を立体的に観察することによって、フランクルは心身の束縛から切り離された「精神的次元」の存在を確信するようになりました。それは、いわば人間が人間らしくなれる「自由の場」です。本能的な欲求から自由になった精神的次元の力を使って「意味ある行動」ができれば、私たちの気持ちは満たされ、生きる意味を感じられるようになります。つまり精神というのは、人間が心の中に持っている自己治癒力のようなものなのです。
精神という自己治癒力が十分に発揮されれば、過去にどれほど辛い経験をしたとしても、新しい人生を歩み出すことができます。過去とは関係なく、未来を創り出せるのです。
6月22日にEテレで「心の時代(宗教・人生)」の『ヴィクトール・フランクル それでも人生には意味がある』の第3回が放送された。9月まで6回シリーズを楽しませていただいている。これまにフランクルの著作『夜と霧』、『それでも人生にイエスという』を読ませていただいたが、人間は「常に自分のあり方を自分で決断していく存在」であり、「運命は誕生時たときに決まっている」「自分で人生を変えることはできない」という運命論的な考えは間違っており、どうすることもできない状況になっても、自由に自分の態度を決めることができるのが人間であるという考えを再認識しました。