2017年4月発行の関西性教育セミナー10周年記念誌『性について、語る、学ぶ、考える』の「30年の性教育の実践(「学級通信」から授業「生命」、女子生徒の理系進学支援)」P78~81から引用
はじめに
2016 年11 月、1983 年からのカトリック系中高一貫女子校(ノートルダム清心学園清心女子高等学校)の勤務を終えた。そして2016 年12 月、学園理事長シスター渡辺和子が逝去された。一つの時代が過ぎていったという思いがある。理事長の著書『置かれた場所で咲きなさい』は200 万部を超えるベストセラーになった。その本の帯には、「人はどんな境遇でも輝ける」とある。人はそれぞれ置かれた状況は異なっていても、前向きに生きてくださいというメッセージを贈っている。このような本が爆発的に売れるということは、逆に言えば、今の社会に生きる多くの人々が今の自分を認めて生きるためのメッセージを求めている状況にあるということだ。誰しも、自分らしく生きたいと願っているのである。
勤務して間もないときに高校1 年生のクラスを担任し、学年の性教育担当(校内にすでに性教育委員会という組織があった)になったのが、性教育との最初の関わりであった。当時は担任の生徒指導の仕事として、頭髪、爪、スカート丈などの点検があり、若かったがゆえに生徒の反発も強く、信頼関係が築けず、藁にも縋る気持ちで実践したのが学級通信の発行とLHR の性教育だった。
本報告では、約30 年間の性教育に関わる教育実践を、日常的な学級通信を出発点として、エイズ教育、授業「生命」、女子の理系進学支援を掲げた文部科学省SSH 事業の展開について概説させていただきたいと考えている。なお、それぞれの実践の詳細については、後掲の文献を参考にしていただきたい。
学級通信「ぼうぼうどり」が出発点
学級通信を初めて出したのが、赴任して3 か月過ぎた1983 年7 月13 日であった。高校1 年生を担任し、最初から生徒と私の考え方が正面からぶつかる状況が続いていた。それをなんとか解決したい、自分の思いを理解して欲しいという気持ちから、学級通信「ぼうぼうどり」を発行した。最初は理解されるどころか、ゴミ箱に捨ててある状況だったが、とにかく辛抱強く、自分のメッセージを載せて発行し続けることで、時間はかかったけれど生徒との関係をなんとか修復
できた。その時に学んだことは、生徒に"読ませる"のではなく、"読んでくれるまで待つ"こと、辛抱強く伝えることが大切だということだった。その後も学級通信は1987 年度まで書き続け、1984 年度は年間で200 号を発行した。僕の30 年間の教育実践の原点は、この学級通信にあるといっても過言ではない。
学級通信は、生き方に関したテーマが多かった。テーマは本や新聞記事から探して、問題を取り上げた。その中から生徒が興味をもって考えてくれると思われる「高校生が結婚を理由に退学処分になった事件」、「教師との結婚」、「高校生は結婚できるか」などの性に関わるテーマを取り上げ、LHR の題材にした。学級通信を作成するために、毎日のように図書館に通って新聞記事や書籍から学級通信に掲載するネタを探した。ネタを探しながら自分の考えを整理していく過程で、生徒が求めているものや学校教育のあ
り方を考えていた。それが最終的に「生き方」を考えるための材料を提供し続けることになった。結果として性教育に関連した内容が多かった。
そんな時、同僚から学級通信やLHR でやってきた取り組みを性教育の実践としてまとめて報告してみないかと誘われ、性教育をよく理解していないまま、学校現場で性教育を実践して感じたことを発表した。
第17 回日本性教育学会全国大会(1986)で、教育実践の発表や性教育の研究者の講演を聞き、性教育について初めて具体的に知る機会を得た。それまでは、学校内の性教育委員会の係のイメージしかなかったが、大会に参加したことをきっかけにして自ら学んでいくうちに、性教育というのは性行動だけにかかわる教育ととらえるのではなく、全人格、一生涯かかわっての生き方を考える教育ととらえなければならないということがわかってきた。そして、この時に教育実践や研究した内容をまとめたり発表したりする楽しさを体験した。これがその後の性教育や生物学の研究に向かう自らの姿勢を育ててくれたのだと思う。
性教育とエイズ
エイズが社会的な問題として扱われた時期に、民法のテレビ局から「コンドームを使った授業を公開してくれませんか」という依頼の電話を受けることがあった。エイズ感染の原因の多くが性的接触であったので、性についての基礎的な知識を教える性教育の重要性が再認識された。エイズ感染予防対策の一
環として、全国の高校生ひとりひとりに「AIDS 正しい理解のために」(1992 年10 月発行)という小冊子が配布された。教師向けには指導資料も配布された。
感染者に対する差別事件も起こり、人権問題としても学校教育で取り上げる必要があった。パンフレットなどに「正しく理解することによって、エイズに対する誤解や偏見を取り除くことができます」という記述をよく見かけた。当時の自分は「科学的な正しい理解をすれば、差別はなくなる」というとらえ方に違和感を感じた。学校も含めた社会全体に「他人の身になって考える」ということ自体が欠けているという点に危惧を感じた。それは今でも学校教育で見落されていることであり、公衆衛生の視点で感染予防的な知識を学ぶだけでなく、背景としての人間関係の在り方を問わないかぎり、解決の糸口がつかめないと考えている。
エイズについての日本独自の問題としては、諸外国では同性愛者に限られた病気として始まったのに対して、日本では血友病患者に限られた病気として始まったことである。確かに、1985 年3 月に、日本最初のエイズ患者が厚生省によって認定されたのは同性愛者であった。しかしながら、それ以前の1984 年9 月の段階で、帝京大学の血友病患者48 名のうち23名がHIV 陽性と判明していたことは公表されていなかった。日本でのHIV への感染原因としてもっとも多かったのは、血友病患者に治療のために投与された薬、つまり、アメリカから輸入された非加熱血液製剤によるものであったことを忘れてはならない。非加熱の血液製剤による犠牲者をうんだ原因が明らかに国及び製薬会社にあることが判明している。人為的に発生した薬害事件の中で、血友病患者、エイズ患者、HIV 感染者に対する差別があった。血友病患者の実に約40%(約1800 人)の感染が確認され、その中には学齢期の子どもたちも含まれており、1989 年の年齢で15 才以下の子どもが144 人も含まれていた。
エイズの問題を取り上げるとき、単に感染予防の知識だけ学習することを目指すのではなく、薬害事件として再びこのような悲劇が起こらないように、社会的な側面からとりあげることも重要である。また、当時、薬害の被害者と性行為による感染者とを、「同情すべき感染者」と「自業自得である感染者」を区別してとらえ差別する考え方があったが、どちらも「死に直面した感染者」としてとらえる視点を示すことが重要である。
翻訳によるエイズ学習
性教育に関係した教育活動は、関係する各教科の授業やLHRの性教育の時間だけではなく日常的な教育活動の中でも展開できる。ここで報告するのは、卒業を直前にひかえた時期に、生徒と一緒にエイズに関する本の翻訳作業をしたというだけのものであるが、そこから自分自身が学んだことを紹介する。1990 年の文化祭で、担任した高校2年生のクラスで、今の社会問題に対する意見を、教師に負けない内容で発表しようということになった。文化祭まで少しくらい苦労しても、文化祭当日は、自由に楽しみたいということで、本の形にまとめようということになった。ジャンル別に分担し、各自がワープロで原稿を仕上げ、製本し、一冊の本にすることになった。具体的には、クラスを6つに分け、グループごとにテーマを決めて、原稿を共同で書き上げることを目標にした。
6月からテーマを決め、夏休みまでに資料を集め、夏休みに原稿を書き上げた。内容は、「臓器移植」「これからの女性のライフスタイル」「校則とは」「エイズ」「医療事情」「老人性痴呆症」などである。いろいろな本からの引用も多く、生徒の完全なオリジナルとはいえないものの、この取り組みを機会に、医療系の進路を考える生徒も出てきたりした。
このことをきっかけに1992 年度、さらに、高校3年生3 クラス約100 名全員で、エイズについての英語のペーパーバックを翻訳することを試みた。ニュージーランドへ中学生を引率した教師が買ってきてくれたSAFER SEX:WHAT YOU CAN DO TO AVOID AIDS を翻訳することになった。
英語の教師でも、医者でもない私と生徒との違いは、少しエイズや性教育の本を読んでいるというだけである。自分自身も作業のなかで、必要に応じて勉強し、知識を得て、学習していこうと思った。生徒と翻訳作業に取り組む活動で、生徒から性に関する用語についての質問を受けたり、楽しそうに取り組んでいる姿を見ていると、通常の授業にはない打ち解けた空気が流れているのを感じた。ほとんどの生徒が、大学受験を直前にひかえている時期であったが、「エイズについての洋書を読めば、英語力と知識の両方が得られるじゃないか」ということで、予想外に盛り上がった。父親と一緒に翻訳に取り組んだ生徒もいた。また英語の教師に質問した生徒もおり、関係するはめになった方々には大変お世話になった。
私たちが翻訳に取り組んだ本の原書が、翻訳されて出版されていた。日本での書名は『マジックジョンソンのエイズにかからない方法』(集英社)になっていた。
どうせ翻訳本がでるなら、何か月もかけて訳すことし、生徒と生物の教師でつくった直訳本も、読みにくいかもしれないが、本当にいいものができたと感じている。同じ曲でも演奏者が違えば、それぞれ違った印象を与えるように、原文は同じでも翻訳という作業の結果できた文章もまた、翻訳者の内面を反映するものだと思う。
例えば、集英社版では"bisexual" を「両刀づかい」と訳してあった。この言葉は、旧来の男性社会を背景としたものであり、バイセクシュアル(両性愛者)に対する蔑称である。決して高校生はそのようには訳さない。
エイズという、人間の性行動を介して感染する病気に関する本を翻訳するという作業を通して、お互いに「自分が性をどのようにとらえているのか」を確かめるような体験ができたと思う。そして、翻訳が終わって本が完成したとき、援助してくれた英語の先生から「性に関する用語に抵抗感があったが、ごく自然に話せるようになった」と言われた。性に関しては、社会的に抑圧されてきた面があり、猥褻な使い方をされることはあっても、正面から話題にされることはまだま
だ少ない。正面から扱うと道徳的な面が強調されやすく、聞く生徒の方も干渉されたくない気持ちを抱いてくる。エイズという社会問題を翻訳という共同作業を通して学ぶことによって、性に関する基礎的な学習ができたのではないかと思う。性教育は人権教育であり生き方教育でもあると考えている。
授業「生命」
1990 年代は、「リプロダクティブ、ヘルス/ライツ」を提起したカイロ国際人口会議(1994)、女性の地位向上の指針となる「行動綱領」が採択された北京女性会議(1995)、男女共同参画社会基本法の公布(1999)などに象徴されるように、女性の人権に関連した一連の大きな動きがあった。そのような時代に、授業「生命」
(1999)は、ホームルーム活動や総合的な学習の時間での性教育の実践を集約する形で、最初は全生徒を対象とした選択科目(発展科目)として誕生した。「生命」をテーマに、野外実習(野外彫刻の調査)、芸術家や研究者による講義やワークショップ、グループ討議など、いろいろな切り口でメッセージを伝えていただき、生徒に自分の「生き方」を考えてもらうことを狙った。
「生き方」を考えることが、将来を考える動機となると考えた。事実、これまでに講座の内容そのものが直接的に進路につながった生徒も多い。「生き方」を教育するとは、「考え方」を一定の方向に導くというものではない。提示された材料(教育内容)を生徒自身が学んでいく過程で、「考え方」を身につけていくものである。したがって、この授業は、考える材料の提供(話題提供)の役割をするものであり、どのように考えるかの試行錯誤をどのように体験させるかが指導上重要になる。「生き方」を考える教育では、教科指導のように多くの知識を持った優位なものが劣位なものに一方的に教えるという図式は成り立たない。適切な材料を供給できるかどうかが大切で、指導する側がどのような経験をし、どのように生きてきたかという自らの生き方が問われることになる。授業「生命」は、後述する生命科学コースの生徒全員が履修する科目としてSSH の教育プログラムに組み込んでいる。
女子校は今の社会でも必要なのか
1990 年代半ばから「少子化時代の生き残り戦略」として多くの学校でコース制の導入やパソコン整備、校名変更、共学化などの学校改革が進められてきた。岡山県内の私立高校は24 校あるが、今や女子校は2校のみになってしまった。全国的にみると公立の伝統校と女子大をもつ学校、中高一貫の進学校が残っているが、今や女子校はマイノリティでしかないというのも事実である。男女共同参画を目指す共学校を標準とする社会で、女子校が存在する理由はあるのだろうか。
日本の合計特殊出生率は2005 年に過去最低の1.26を記録した。少子化と高齢化が経済に大きな影響を与える時代に突入している。きっかけの一つは女性が子どもを産まなくなったことだが、女性が子どもを産めば解決するような簡単なものではない。ライフスタイルの変化やそれを支える社会サービス、医療技術の進歩など、原因は複雑に絡み合っているからである。ただ言えるのは、女性が社会構造に大きな変化を与えている時代になってきたということである。そして、それをネガティブにとらえるのではなく、女性パワーを取り込んだ社会システムの構築を必要とする時代になったと考えるべきである。集団主義が強かった日本で、個人の価値を高めることができる好機が到来したのである。これからは社会を「少子化仕様」にするという発想が必要で、人口減少のマイナスを生産性の向上で補う構図が必要になる。「女性の才能を伸ばすことを制限している」「子どもを産み育てにくくしている」構造に風穴を開けるような変革が必要で、それを下支えするのが学校教育であると考えられる。
性教育で、女性の人権は大きなテーマになっている。理科教員の立場で考えると、日本は国際的な比較でも科学分野で活躍する女性が少なく、大学での理系学生、研究者も極端に少ない。そもそも高校での理系選択者そのものが少ないのだ。理系女子が少ない理由を考えたときに、学校教育に原因があるのではないかと考えるようになった。つまり、旧来の「男らしさ・女らしさ」というジェンダー形成の過程で、日本では女子が科学を学ぶ機会(理系分野で活躍する機会)を失われたのではないだろうか。それならば、「女らしは無駄であったという意見もあるかもしれない。しかさ」の形成のために封印された理系志向をよみがえらせ、リーダーとして活躍できる女性を育成する教育が必要になる。そこに、「女子校」という教育環境を生かした、新たな教育プログラム開発の可能性が見えてくる。女子校の構成者は女子生徒だけで、生徒会活動や実験・実習等すべての教育活動において女子がリーダーシップをとらざるを得ない。そのことを、女子校はリーダーシップを養成し、積極性を身につけるのに適した環境と考えることができる。「女子校」の教育環境を理系進学支援に生かせると考えた。
生命科学コースの誕生
文部科学省は第3 期科学技術基本計画(2006 年)で、①大学や公的研究機関は、女性研究者を積極的に採用及び登用することが望ましいとし、②博士課程(後期)女性研究者の採用目標を自然科学系全体で25 パーセントとするという具体的な数値目標まで設定して、科学技術分野の女性を積極的な支援する方針を打ち出している。この女子の科学者支援の方針を追い風にして、2006 年に本校は私立女子校として全国で初めて文部科学省スーパーサイエンスハイスクール(SSH)の指定を受けた。研究課題を「生命科学コースの導入から出発する女性の科学技術分野での活躍を支援できる女子校での教育モデルの構築」とした。
当時は、全国的に薬学部新設が続いた頃で、女子生徒の医療分野への進学が加速していたので、女子生徒の理系進学支援をコンセプトに、まずは生命科学分野からということで、「生命科学コース」が誕生した.「知識」「体験」「研究」を絡めた教育プログラムの開発を始め、「知識」と「体験」を「研究」に集約する方向で全体を構築した。
性教育の実践からSSH事業での「リケジョ」支援へ
「生命科学コース」の誕生とともにスタートしたSSH 事業は、学級通信の情報発信を続けていく過程で性教育の重要性に気づいたことが原点になっている。
2006 年にSSH の指定を受けたときは、女子生徒の理系進学支援を掲げた取り組みは少なかったが、「リケジョ」という言葉が、2010 年頃からメディアで使用され始め、少子化の中で女子生徒に理系進学のメリットをアピールするのに用られたりして、将来の「リケジョ」を増やそうと様々な取り組みも行われるようになった。
「集まれ!理系女子 女子生徒のための科学研究発表交流会」は今年度で8 回を数えたが、大会冊子の表紙は継続して目をあしらったデザインを採用してきた。そのデザインに込めたメッセージ"You are preciousin My eyes"(あなた方生徒は、神の眼差しの中でかけがえのない存在なのである)である。それぞれの生徒がその才能を伸ばし、かけがえのない存在になって欲しいという願いを込めている。教員生活の初めの段階から性教育に関わることによって、性教育を通して、多くの先生方と出会い、生徒と信頼ある関係を築くことができた。と同時に、自分自身の「生き方」を考えさせていただいたことに感謝している。