○フランクル『夜と霧』より
人生から何をわれわれはまだ期待できるかが問題なのではなく、むしろ人生が何をわれわれから期待しているかが問題なのである。そのことをわれわれは学ばねばならず、また絶望している人間に教えなければならないのである。
○フランクル『医師による魂の癒し』より
人間が人生の意味は何かと問うに先立って、人生のほうが人間に問いを発してきている。だから人間は、本当は、生きる意味を問い求める必要なんかないのだ。
人間は、人生から問われている存在である。人間は生きる意味を求めて人生に問いを発するのではなく、人生からの問いに答えなくてはならない。そしてその答えは、人生からの具体的な問いかけに対する具体的な答えでなくてはならない。
人間は、「何のために生きているのか」「自分の人生に意味はあるのか」と自分が悩む必要はなく、人生の方から問いかけられている意味や使命を発見し、それを実現できるように努力するのが本来の生き方である。
「人生」を自分の欲求を実現する舞台のように考えて、自らの欲望中心の生きたとしても、欲望に満たされることはないので、結果として多くの欲求不満を抱えた状態に追い込まれてしまう。
今、すでに自分の足元に存在する人生から問いかけられている意味や使命を発見することが大切で、人生を前向きに生きている人には、「他人が喜ぶことを優先しておこなう行動をとっている」という利他主義という共通点がある。
最終的に人間に求められるのは、なんらかの形で社会貢献することで、身近に困っている人がいたらサポートすること、学校教育では次の世代がその才能が伸びるようにサポートすること、人間の幸福を担う組織を維持し、運営することなどがある。
どんなに困難があっても「それでも人生にイエスと言う」生き方が期待されている。