はじめまして。内田博です。
人前でしゃべるのが大の苦手で、それでこのようなプリントを書くことになるわけです。生徒の前でしゃべる仕事をしているくせに、それはないだろうと、よく他の人に言われますが、事実だから仕方ありません。9年前に宮崎日大高校に勤めるようになった時、最初の授業で教壇に立つのが怖くて教室にはいることができるず、職員室にもどったこともありました。それに大学では詩吟部に入部したんですが、たったの一週間でやめてしまいました。他の人のいる所で大声を出すというのが恥ずかしくてできなかったからです。そんな"人間恐怖"が最近ますますひどくなりまして「自己紹介をしてください」などと言われるとが、脈拍がすぐに180くらいまではねあがります。本当です。
ところで運命とは不思議なものですね。私は出身が農学部でありまして、小学生や中学生似つきあうことになろうとは夢にもおらんかったです。まったくの気まぐれ気分転換目的でつとめた日大高校での一年間が私の人生を大きく変えてしまったのでしたから、そして今塾といういわばヤクザな商売をやらしてもらっておるわけです。とはいっても私はこの仕事が好きで自分にも向いていると思っているのです。第一、私はさしずされることが嫌いで、自分のペースを他の人のペースに合わせることができます。おまけに長時間の労働には耐えられないという、ぜいたくな性格の持ち主だからです。一生懸命はたらいてぜいたくをするよりは、少しだけ働いて質素に生きたいなどと考えるのです。
日大高校での一年間は・・・・私にとって、それは実にみのり多い一年間でした。私は生徒たちとつきあうことによって、それまで持っていた私立高校生への偏見(彼らは頭が悪くて、おまけに不良でだらしがないといったような)を、こなごなに打ち壊されたのです。言い換えれば、私はそれによって、ちょっとましな人間にしてもらったということです。私は今も彼らに対して感謝の気持ちをもっております。それと、とにかくその一年間が楽しかった。その気持ちは、私の代わりに、大好きな宮沢賢治さんに語っていただこうと思います。
(「生徒諸君に寄せる)という詩の一節です)
この四年間が
わたくしに、どんなに楽しかったか
わたくしは 毎日を
鳥のように教室で うたってくらした
誓っていうが
わたくしは この仕事で
疲れを おぼえたことはない
『寺子屋通信 よだきん坊のハチャメチャ塾』(八月書館)内田博 著 p6-7 より抜粋
1985年5月30日発行