『人生論ノート』(三木清・著)より抜粋
絶えず他の人を相手に意識している偽善者が阿訣的(あゆてき)でないことは稀である。偽善が他の人を破滅させるのは、偽善そのものによってよりも、そのうちに含まれる阿訣によってである。偽善者とそうでない者との区別は、阿訣的であるかどうかにあるということができるであろう。ひとに阿(おもね)ることは間違ったことを言うよりも遥かに悪い。後者は他人を腐敗させはしないが、前者は他人を腐敗させ、その心をかどわかして真理の認識に対して無能力にするのである。嘘吐くことでさえもが阿ることよりも道徳的にまきっている。虚言の害でさえもが主としてそのうちに混入する阿諛によるのである。真理は単純で率直である。しかるにその裏は千の相貌を具(そな)えている。偽善が阿るためにとる姿もまた無限である。
多少とも権力を有する地位にある者に最も必要な徳は、阿る者と純真な人間とをひとめで識別する力である。これは小さいことではない。もし彼がこの徳をもっているなら、彼はあらゆる他の徳をもっていると認めてもよいであろう。