学級通信を初めて出したのが、赴任して3か月過ぎた1983年7月13日であった。高校1年生を担任し、最初から生徒と私の考え方が正面からぶつかる状況が続いていた。それをなんとか解決したい、自分の思いを理解して欲しいという気持ちから、学級通信「ぼうぼうどり」を発行した。最初は理解されるどころか、ゴミ箱に捨ててある状況だったが、とにかく辛抱強く、自分のメッセージを載せて発行し続けることで、時間はかかったけれど生徒との関係をなんとか修復できた。その時に学んだことは、生徒に"読ませる"のではなく、"読んでくれるまで待つ"こと、辛抱強く伝えることが大切だということだった。その後も学級通信は1987年度まで書き続け、1984年度は年間で200号を発行した。僕の30年間の教育実践の原点は、この学級通信にあるといっても過言ではない。
学級通信は,生き方に関したテーマが多かった。テーマは本や新聞記事から探して,問題を取り上げた。その中から生徒が興味をもって考えてくれると思われる「高校生が結婚を理由に退学処分になった事件」,「教師との結婚」,「高校生は結婚できるか」などの性に関わるテーマを取り上げ,LHRの題材にした。学級通信を作成するために、毎日のように図書館に通って新聞記事や書籍から学級通信に掲載するネタを探した。ネタを探しながら自分の考えを整理していく過程で、生徒が求めているものや学校教育のあり方を考えていた。それが最終的に「生き方」を考えるための材料を提供し続けることになった。結果として性教育に関連した内容が多かった。
そんな時,同僚から学級通信やLHRでやってきた取り組みを性教育の実践としてまとめて報告してみないかと誘われ、性教育をよく理解していないまま,学校現場で性教育を実践して感じたことを発表した。
第17回日本性教育学会全国大会(1986)で、教育実践の発表や性教育の研究者の講演を聞き,性教育について初めて具体的に知る機会を得た。それまでは,学校内の性教育委員会の係のイメージしかなかったが、大会に参加したことをきっかけにして自ら学んでいくうちに,性教育というのは性行動だけにかかわる教育ととらえるのではなく,全人格,一生涯かかわっての生き方を考える教育ととらえなければならないということがわかってきた。そして、この時に教育実践や研究した内容をまとめたり発表したりする楽しさを体験した。これがその後の性教育や生物学の研究に向かう自らの姿勢を育ててくれたのだと思う。