私は、どのような状況においても、生きものを殺すのには本能的に戦懐を覚えるものだと思う。たとえば、狂犬ですらも殺さずに監禁して、死ぬのを待つようにせよ、と言う人がいる。ところが、憐みの心から私にはそうすることができなくなる。犬にせよ、その他の生きものにせよ、なかなか死ねずに苦悶しているのを見るのは、私には一瞬たりとも耐え難いことである。人間がそのような状況にあっても、私は、まだ外に望みのある治療法があるので、命を奪いはしない。犬の場合には治療法がないので、そのような場合には殺す。子供が狂犬病に躍って苦悶し
ているのに、救う方法がないとなると、私は子供を死なせてやるのが自分の務めだと思うだろう。宿命論には限界がある。あらゆる救済手段を講じた後で、運命に委ねるのである。ひどく苦しんでいる子供を苦悶から救う、唯一かつ最後の手段は、その子の命を奪うことである。
『今こそ読みたいガンディの言葉』(朝日新聞出版)の第3章アヒンサー(非暴力への道)21.p128に掲載された文章である。命を奪うことはあくまで最後お手段なのである。