【生徒の感想】
2回に渡って行われた講演の中で一番ポイントとなるキーワード。私は「相手への配慮」だと考えます。同時に自分の性を受け入れ、異性を好きになる、それが当たり前。こんな固定的な考えはふさわしくないと思いました。正直、私自身講演前と後で大きく考えが変わりました。そもそも私の中では、性的な悩みを持つ人は、ごく少数でありそういう人と関わりを持つことは今後ないだろうという思いがありました。しかし1/13の割合でセクシュアルマイノリティーを抱えた人が存在するという数値を知り、他人事では済まされないという責任感を覚えました。
もし横にいる人が性の悩みを抱えた人だったら。それを知らずに思わぬ発言をしてしまったら。その人を絶望の地に追い込みかねません。知らなかったのだから、仕方がない。こんな言い訳は認めるべきでない、むしろ通用しません。
ただ、青樹先生がおっしゃっていたように私も今の日本はみんながありのままで生きられる状況ではないと感じています。実際、小学校の時ある男子が女の子っぽい行動をとり、すると周りの男子が、「お前女かよ」とからかう姿を見たことがあります。ここで私はふと思いました。もしその男子自身が女子になりたいと思っていたとしたら、大きな心の傷を与えたことになるなと。またその周辺にいた子の中で性の悩みを抱えた人が紛れ込んでいたら、自分の本当の姿がばれたら同じような扱いを受けるのだろうか、どうしようと恐れるだろうなと。
ここで私が考えたこと。それは悩みを抱えた人にとって今後の人生を大きく左右するものは幼少期の記憶ではないかということです。幼少期からありのままの自分を受け入れてくれる存在がいれば、きっと大人になっても自分らしくあり続けられるでしょう。一方過去に冷やかされたり、とその記憶がトラウマとなり、不安を抱えたまま大人になると、自分がターゲットになるのではと恐れて本当の自分を隠して生きていくのではないでしょうか??
そんな人たちに心の闇を作ってしまうのが周りの私たち。ただ同時にその人を救えるのも私たちだと思います。
みんなが居心地の良い環境を作り上げるため何ができるのか。まず言葉の使い方を見直すべきだと思います。この言葉を発したら誰が傷つくだろう、そう一人一人が意識すればおのずと本人の心にゆとり、安心が生まれ、本来の自分の姿でいる手助けができると考えます。
もちろんそんな理想の実現は難しいことです。しかし難しいからといって実行を諦めたらその時点で、今後も苦しみ続ける人が絶えず、私たちは悩みを持った人を見捨てたことになるのではないでしょうか。自分と違う性の考え方だからといってそれは個性であり珍しいことでもなんでもありません。個性が多様なように性の考え方も十人十色で誰かとかぶることはないと思います。