柴田トヨさんの詩集「くじけないで」のp82-83に「朝はくる」という詩がある。
今の学校で、「いじめ」や「教職員の精神的な問題」に絡んだ事件が話題になることが多い。
「学校」は多くの教員、もっと多くの生徒や学生たちが一日を過ごす場所だが、だから一層、孤独感を強く抱きかねない場所になっているように思う。多くの人間が集う場所であり、笑顔や賑やかさな雰囲気が当たり前だから、不信感や悲しみを持った時により打ちひしがれるような気持になってしまうのかもしれない。打ちひしがれて、生きにくくなっている人に、「手をさしのべる」場所であって欲しいが、実際にはそうなっていない。
現実の学校は、事件が起きたり、経営がうまくいかなかったときに、それを直視して解決するのではなく、「見ないように・聞かないように・言わないように」して、責任を回避する仕組みを構築しているようにみえる。社会が大きく変容(パラダイムシフト)して、多様性(ダイバシティ)を認めざる得ない状況で、学校に今どのような変革が必要なのかを、教育関係者に真摯に考えてもらいたい。
一人で生きていく
と 決めた時から
強い人間になったの
でも 大勢の人が
手をさしのべてくれた
素直に甘えることも
勇気だと わかったわ
(私は不幸せ・・・)
溜息をついている貴方
朝はかならず
やってくる
朝陽も
射してくる筈よ