科学は、「自然」を解釈する知的活動である。土地に密着した活動が中心であった時代には、科学の存在を意識することなく、日々の暮らしを成立させていた。しかし、現代社会では、科学と無関係に暮らすことは不可能である。私たちは、好むと好まざるとにかかわらず、科学と付き合わねばならない時代に生きているのである。
科学は、自然を見る一つの見方にすぎないかもしれないが、科学が生み出した技術は、私たちの生活のありさまを、それ以前とは大きく変えてきた。21世紀になってからは、特にバイオテクノロジーの進歩は著しい。バイオテクノロジーの技術は、直接生命かかわる技術であり、光と陰を併せもつ技術である。利用のしかたによっては人類にバラ色の未来をもたらす可能性がある一方、人類を破滅に導きかねない危険性もはらんでいる。したがって、この技術のどの部分を伸ばし、どの部分を抑えていくかという判断は21世紀をどう生きるかの鍵を握っているとさえ言える。
「地球は動いている」、「地球は平らではない」、「人間だけが他の生物とかけ離れた地位にあるものではない」など、科学は、いろいろな意味で常識をくつがえしてきた。その意味で、科学が明らかにしたことは、不可能を可能にするということだけでなく、広く人間の思考にも影響を及ぼしてきた。今はサイエンス・リテラシーをもっていることが必要な時代なのである。
このような時代に、学校教育の果たすべき役割は何であろうか。それは、時代の変化に対応した、科学の知識を生かせる市民を育成することである。
これまで、科学が私たちの生活にもたらした変革を語るとき、科学を応用した結果として生まれた技術が、私たちの日常生活をどのように劇的に変えたかという点が、おもに強調されてきた。しかし、技術ではなくて、科学の知識が私たちの世界観を根本的に変革するとい 「生命」を見つめ直すような、生命観の育成を目指した教育が必要があると考えられる。また、社会的な立場で「女性」をみたとき、「自立できる女性」の育成が急務である。生命科学の進展にともなう時代の変化の中で、自らの力を生かし社会に貢献できる女性を育成することが必要とされている。
これまでの教育では、考えられなかった多彩な「学びの場」を設定する必要がある。フィールドワーク、校外研修、実験・実習、高大連携、卒業生との交流などによる、知的刺激にあふれ、学びへの意欲を高める授業を展開する必要がある。