3月5日は、山本宣治の命日だった。
山本宣治は、イモリの精子の研究者であったが、アメリカの女性産児調節運動家マーガレット・サンガーが来日した際に、通訳として面会し、その考えに啓発され、性教育啓蒙化の普及と産児制限の必要性を痛感し、「産児制限運動」(山本自身は「産児調節」の語を使った)を展開した人物。 京都大学、同志社大学の職を奪われ、衆議院議員として自らの運動を推し進めるが、1929年3月5日の夜、右翼団体である「七生義団」の黒田保久二に刺殺された。
今年の3月5日は、僕にとって進むことのできない壁に囲まれているように感じる日であった。
志半ばで山本宣治は殺され、坂本竜馬も殺され、吉田松陰は獄中死。キリストは十字架の極刑に処せられた。死後、彼らは思い起こされ、その思想は君臨すれど、死す瞬間は、彼らでも「こんなはずではなかった」と考えたのではないだろうか。
彼らほどの思想も実行力も持ち合わせていないが、「こんなはずではなかた」という思いが心をよぎる。自分自身の心の弱さに向き合い、人からの反感や妬み、嫉妬を受け、中傷され、陥れても、真摯に誠実に、真理を求めて生きることはたやすくない。
山宣の長女 故山本治子さんの歌集「清明の季」より
梅、椿、咲きて近づく春ながら今日ぞくるしく父偲ぶなり
六十年前主権在民ゆるさざる頑迷は父の命うばひつ
謀られて死したる父の無念にぞぬば玉闇に紅梅にほふ
父はただに生物学者と思ひおかむ轉身ののちのむごき死ゆえに
その肩に膝に愛な子は遊びしをおもひいだせぬ亡き父のこゑ