高校生の時に、湯川秀樹の『旅人』を読んだ。素直に感動して、僕も物理学者になりたいという気持ちになった。実際の僕は、大学では化学科に進学し、教員になってから生物学に興味を持ち、2011年に博士(理学)の学位を取得した。高校の教員になっても研究を続けてきたものの、無駄の多い、随分遠回りをしたものだと思う。今になってこの本を読み返すと、母親が研究者に導いてくれたという彼の感謝の気持ちが記述されていることを再認識した。こんなことは高校生の時には気づかなかった。長い年月を経ると、感性も随分変わったようだ。
それから、高校生の時に鉛筆で〇印をつけた箇所があった。
「未知の世界を探究する人々は、地図を持たない旅行者である。地図は採光の結果として、できるのである。目的地がどこにあるか、まだわからない。もちろん、目的地へ向っての真直ぐな道など、できてはいない。
目の前にあるのは、先人がある所まで切り開いた這だけである。この道を真直ぐに切り開いて行けば、目的地に到達できるのか、あるいは途中で、別の方向へ枝道をつけねばならないのか。
"ずいぶんまわり道をしたものだ"と言うのは、目的地を見つけた後の話である。後になって、真直ぐな道をつけることは、そんなに困難ではない。まわり道をしながら、そしてまた道を切り開きながら、とにかく目的地までたどりつくことが困難なのである。」
今でも、この箇所に〇印を付けるかもしれないと思う。