これまで勤務した学校は、120年以上の歴史をもつカトリック系中高一貫の女子校で、10年前までは英語教育が中心で理系進学する生徒がほとんどいませんでした。理科の教育に関わるものとしては、逆にそのような学校を先進的に女子の理系への進学を支援する学校に変えていくことが、社会の意識を変えるきっかけになると考えて前向きに取り組んできました。現代社会における女子校は"男は仕事、女は家庭"という性別役割分業を支える男女別学の教育ではなく、新たな時代に女性の可能性を開花させる役割を果たすことが重要であると考えています。女子校の構成者は女子のみであり、生徒会活動や実験・実習などすべての教育活動において女子がリーダーシップをとらざるをえません。そのことは逆に言えば、リーダーとしての能力や積極性を身につけるのに適した環境であるともいえるのです。
今の日本は、「少子化」、「高齢化」という社会を揺るがしかねない大きな問題に直面しています。これらの解決には、社会の在り方、特にライフフタイルの変革が必要で、女性の役割が大きいことははっきりしています。
生物的な性として男と女があり、確かに体のつくりで言えば、女は「子どもを産める存在」であり、男は「子どもを産めない存在」です。しかしながら、生物的に異なるのはそれだけなのです。従来の男性中心で経済的な発達を優先してきた社会を肯定した考え方が、これからの社会を切り開こうとする女性の生き方の可能性をつぶしてきた歴史がありますが、人間社会は両性(男と女)から構成されており、両性の協力によって成り立っているのは当たり前のことなのです。それなのに、国や地方行政レベルで「男女共同参画社会の実現」という目的が掲げられているということは、現在の日本社会もまだ両性の協力が達成されていないからこその命題なのです。
女子校で性教育に約30年関わってきて、まず疑問に思ったことは、医師に女性が少ないことでした。産婦人科という女性の身体を診る分野ですら少ない状況なのです。そして、「女医」という言葉があるということは、そもそも医師という職業では女性が少ないということを意味しています。産婦人科の医師が女性であれば、思春期の女子生徒にとって恥ずかしさを軽減させたり、安堵感を与えるなどのメリットは大きいと思います。女性の医師を増やすためには女性が医学部に進学する必要があります。そして、そのためには女子にレベルの高い教育を受ける機会が与えられなければなりません。
「女子教育は女性がすべきであり、考えるべきである」という考えることは、一見正しそうに聞こえますが、実は良識の仮面をかぶった旧来の考え方であり、これまでの男女の枠組みに囚われた考え方だと思います。例えば、政府の「男女共同参画」を進める事業に関わる人員に女性ばかりを採用すれば事業を効果的に進めることができるでしょうか。男女が共同して取り組む必要があり、大切だと思います。性教育に取り組むのは圧倒的に女性が多く、男性が非常に少ない状況があります。女性が多いことで性教育は推進されたでしょうか。男性が関われていないことによって、リプロダクティブヘルスライツの考え方がなかなか社会に広がっていかない状況をつくってしまっているのではないでしょうか。女子中高一貫校で、校長以下全職員が女性であったら、男女共同参画社会の構成者として多様な才能をいかして生きていく女性に育てていけるでしょうか。