1991年度から1995年度、生徒会顧問として文化祭の企画・運営をしてきた。当時の生徒会は、「生徒会総則」の作成や頭髪の規則に対する意見を陳情するなど、生徒自らが自分の学校を変えようと頑張っていた。文化祭もその一貫であった。文化祭の資材移動では、約600名の生徒を放送室からの生徒会役員の指示で動かしていた。テーマソングもコンペで決めたオリジナル作品にかえた。そんな時代だった。僕自身は、教育活動の中で生徒会が大変重要な位置を占めると考えていた。5年間の取り組みは成功したかに思えたが、その後、急速に求心力を失っていった。全役員を複数の立候補者から選ぶ立会演説も消えていった。現在の文化祭は、一律に、「1年生は展示」、「2年生はパーフォーマンス」、「3年生は模擬店」と決められた枠で企画を募った形になっている。それを生徒も受け入れている。僕自身数年間はこだわりをもってみていたが、後任の顧問に意見を言うこともなかった。そして、20年以上の歳月が流れ、今では僕が顧問をしていた時代の文化祭を知っている教員も残り少なくなってしまった。「挑戦したいという心の底からの声に耳を傾けるか、それをエゴだとつぶしてしまうか」その匙加減が、生徒の活動をマネージメントするために必要だったと今も考えている。そのことは、学校経営、ひいては企業経営において、マネージャ-が教員や社員の意見に対処す際の重要なポイントだと思う。
今回の文化祭で僕の印象に残ったのは、青空の下でのオーケストラの演奏だった。いい企画には、多くの人が集まるというのは当たり前で、企画見せ方の面で秀逸だったと思う。生徒数が少なくなっても、これまで通りのやり方で文化祭を運営していたのでは、人的にも分散して見えて、閑散とした印象を与えてしまうことが避けられない。今回のオーケストラ部の企画のように、まず人が集まるような共感できるような空間を提供するというコンセプトで文化祭の改革したらいいのではないだろうか。若い世代の先生方が、前向きに新しい視点で取り組んでくれることを期待したい。