女性同性愛者として生きてきた経験や性について考えてきたことをフリーライターの青樹恭さんに話していただいた。生徒たちにとって、生物的な性やジェンダーについて考える貴重な時間になった。
【生徒の感想】
なぜ、身近に同性愛者がいないと思っているのかというと、そういう人が言わないから。なぜ言えないのかというと社会がそういう雰囲気みたいなものを作っているからです。人は、社会という言葉の陰に隠れているだけで、結局は私たちのことです。言わないからといっていないものとしていいのかというとそうではないと思います。
セクシュアリティは多様で、内面的な性別と外面的な性別が違う人がいたり、ある時は男である時は女だと思っている人もいます。
人は名付けることが好きだから「レズ」とか「ホモ」とか名付けて、差別の対象にします。ドイセクシュアルの人は、最も大切なのが性別以外の基準であるというだけの話だと聞いて、確かに基準が違ったら、好きになる対象も変わってくるし、それは個人個人の決めることで社会が差別するの対象にするようではいけないと思いました。
「普通」「一般」という言葉によって、そこから外れている人は、生きづらさを感じているそうです。世の中に普通という言葉があるからそういう人が悩み、少数派を差別する可能性も出てきます。「普通」という言葉はすごく便利で、相手も自分と同じ認識を持っていると考えて使う簡単な言葉です。「普通」を相手と比べると意外と違うものだったりします。ある条件下では普通であることが別の条件下では普通ではないこともあります。私も普段から「普通」という言葉を使うときに少しでも意識していきたいです。また、青木先生がおっしゃったように「自分が使っている普通とは何かを考える」、「いろいろな人のあり方を否定しない」、そして、「当事者が今、身近に存在するかしれない」・・・を意識していきたいです。
自分の価値観だけで人を見たり、同意を求めたり、判断することが失礼に値したり、人を傷つけることもあるのだとということを再認識するいい機会になったと思います。