朝日新聞社編『いま学校で高校生①』が1979年4月20日に発行された。私は当時大学一年生。5月2日に大学正門の前の書店で購入していた。最後のページに鉛筆で、「こうのぼりの季節」という走り書きとともに購入日のメモがあった。すでに理学の化学科での大学生活が始まっていたのに、まだ数か月前に過ごした高校教育のあり方に疑問があったのだ。一番気になったのは「目覚め」と題した記事であった。当時、一連の連載記事が社会的に話題になっていた。
以下は、p160-162から引用
「お宅のお子さんは、高校ではお引き受け致しかねます」
いまから五年半ほど前、開成中学三年だったT君と母親は、担任教師にこう通告された。卒業式直前のことだった。
成績が恵かったわけではない。酒、たばこで処分された覚えもない。しかし、学校側からひどくきらわれる理由はあった。開成中学生は坊主頭が義務付けられていた。彼は全校でたった一人、髪をのばし、頭髪自由化を叫んで学校をゆさぶった。
「ボクは開成が好きだからこそ、坊主強要のおかしさを問うたんです。本来あるべき民主的で自由な社会を母校にも求めたんです。でも教師は『オマエは世の中がわかっていない』『いやならやめろ』です。世の中は正しい論理こそが通ると信じてたのに、教師は『社会に理屈は通らない』ことを教えてくれました」
結果として、開成中学の坊主頭強制は中三の二学期に廃止された。しかし彼自身は学校にとって「いらない生徒」になっていた。彼の方も「頭下げてまで開成に残る意味はない」と思った。そう決断させたのは、教師より生徒たちであった。「どんな悪法でも『法は守らねばならない』という意見が、けっこう多くて。ボクからみれば、民主主義が確立しているときのみ法は守らねばならないのに。結果として、自由化の声は四割以上の多数派になり得なかった。ショックでした。開成の生徒にとって、『自由』は重要ではなかったのですね。塾に通って苦労して入った学校だからかなあ。『おまえのいうことはわかる』という仲間も、行動では変節してしまった」
こうして開成を追い出された翌年、大学人学資格検定試験を受け、十六教科のうち十四教科に合格。翌々年は残りの科目も通って高二の年代で高校を〝卒業″した。
「検定で改めて開成が全国屈指の受験校だと気付きました。中学で習ったことだけで準備もなく合格です。一度も教わらない数Ⅱまでも」
しかし、彼は大学に関心を示さず、ロック音楽の雑誌に投稿したり、雑誌編集のアルバイトをしたりの気ままな生活を送っている。
「東大なんか、社会に対する武器としては利用できると思いますが、真にアンビシャスな若者が学ぶべきものはありません。あのままいけば、鼻もちならない人間になったでしょう。でも今は、エリートと無縁な人びとの生活に興味を持ってます。自分一人生きてく分には、そんなに難しくはありませんし……」
こう目覚めたT君は、二十歳になった。
→出版から34年経った。今、学校教育は、情報が飛び交う社会の渦の中にある。時代の変化とともに学校教育は本当の意味で進化したのか。・・・・・学校特有の思想が奥底の部分で変わっていないような気がするのは私だけだろうか。