「動物の都合であわせるのではなく、人間の都合で世話をする」ことにつきる。時間がないから水の交換をしなかった。定期的に餌をきちんとやらない。動物の調子をみない。元気がよく、世話をしやすいものだけに餌をやる。餌やり、水の交換などの作業を分担することによって、責任を分散させる。匂い、室温など異変にきづかない。一日に一度、全体を点検することを怠る。・・・などがある。その動物にとって天敵のいない学校の教室で、動物が死ぬのは、すべてに世話をする人間(生徒・教員)の世話の仕方が悪いのが原因で、実は「殺している」のである。言い訳はできない。人間は、自分の利益や沽券のために他人を殺せたり、我が子であっても虐待したりする生き物なので、どこかで動物の命ぐらい失っても構わないと考えているのはわかる。しかしながら、動物の命を失わせてしまったときに、せめてで命の大切さ、儚さを感じて後悔するすることが、その日まで命を繋いできた動物への礼儀だと感じている。生徒たちの教育に、両生類の飼育を持ち込んで20年以上になるが、それは命を失わせrことを実感し、考えてもらうためだったのかもしれない。私自身、この夏、出張で学校を不在にした期間が長く、そのことで多くの動物の命を失わせてしまった。取り返しがつかない。