門松を立てることも、雑煮を食べることも、賀状を出すことも、実は、本当を言えば、何を意味するかよくはわかりません。しかし、これだけはわかっています。人間の一生が少々長すぎるので、神様が、それを、365ずつ区切ったのだ。そして、その区切り区切りの階段で、人間が一休みをするようになっているのだということです。僕も、神様が作ったその階段を、もう随分あがってきたようです。70段以上あがった人から見ればまだまだかもしれませんが、人生の終わりを意識し始めたようで、少しだけ焦るような気持ちで一休みしています。元旦に一休みしたら、気分を一新して頑張ろうと思っています。今年もいろいろとご迷惑をおかけすると思いますが、よろしくお願いいたします。