下は、三浦有紀子・仙石慎太郎著『博士号を・取るときに考えること・取った後でできること』(羊土社)からの引用である。これから自然科学系特に生命科学系に進学して、研究を目指すものに示唆を与える本である。例えば、「欧米では日本と比較にならないほど、超学歴重視の社会であり、博士号がないと研究者として認められない」、「自然科学系の修士号は、研究のプロフェッショナルの証とはみなされない」、「研究者は職の不安定さを当然のものと受け止めなければならない」・・・。
「修士課程の教育とは,文字通り,特定の専門的知識やスキルを習得(マスター)することが目的である・したがって,多くのラボでは教員や先輩大学院生から研究テーマをあてがわれ,その研究テーマの実践を通じて必要な知識やスキルを習得するというスタイルがとられる.学位審査にしても,多くの大学院では,修士号授与はファカルティーによる内部審査のみであり,投稿論文などの対外的な成果発表は必須要件ではない.対して博士課程はどうか.人により意見は少しずつ異なるが,集約すれば,研究者として独り立ちするのに必要な能力の教育ということになろう.修士までは「研究活動の行い方」,博士課程(博士後期課程)は「研究という『業』の営み方」教育といってもよい.
具体的な能力としては,その研究分野におけるコアな課題を見抜いて自らの研究方針や研究計画に落とし込む戦略的思考力,日々の研究活動において発生した課題を克服する問題解決力,議論や発表を通じて研究内容を磨き上げるコミュニケーション能力,求められた期限内に求められるアウトプットを提供するプロジェクトマネジメント力,後輩学生やテクニシャンを活用する人的マネジメント能力,必要な研究資金やリソースを調達してくる調達力,などである.当然,研究成果も内輪の評価だけにとどまることはない.ライフサイエンス分野で生き残っていくためには,論文を書く力は必須となってくるため,学位審査の時点でも,査読付き投稿論文の掲載あるいは承認が,本審査に先行して求められる.このような訓練は,研究者が自律的に活動を営むのに欠くことのできない能力を身につけさせるものであり,その意味で単なる職業教育を超えた職業「人」,すなわちプロフェッショナル教育といえる.逆に,このような厳しい教育を受けたからこそ,博士号取得者は年齢や経験に関係なく,グローバルな研究者集団において一人前の研究者として周囲からみなされ,社会からも相応のリスペクトがおかれるのである.」