「生き物の観察から生命現象に感動する心を呼びもどす・アカハライモリを使った発生の観察」
清心女子高等学校教諭 秋山繁治
はじめに
高校1年生の生物の授業で「生殖と発生」を教える中で、「ヒトの受精はどこで起こるか?」と生徒に質問したら、正解したのは29%だった。正解した生徒に情報源を聞くと、「中学校の保健体育」という答えが返ってきた。早速、中学校の保健体育の教科書を借りて調べてみると、「膣内に一度に射精される精子の量は、ふつう2〜4㎖で、その中の精子の数は約2〜6億にもおよびます。このうち、子宮の中を通り、たった1つの精子だけが卵管で卵子と合体します。これを受精と言います」という記載とともに、排卵から受精、着床までの大きな図が示されていた(東京書籍『新編保健体育』)。これをみると生徒が「中学校で習った」と答えるのも肯ける。
しかしながら、一方で、約70%の生徒に「輸卵管(卵管)で受精する」ことが伝わっていないのも事実である。不正解だった生徒に聞くと「きちんと教えてもらった記憶がない」という。もし、卵子の受精からいろいろな成長段階を経て成体へ変化していくイメージを自分のからだでも起こりうることとして感じることができていれば、「輸卵管で受精する」と答えられたのではないかと考えてしまう。性についての学習は、いろいろな教科の学習が絡み合って身を結ぶものであり、いろいろな生物を材料に性を理解するための基礎知識を学べる理科という教科の役割は大きいと考えている。
生物の発生過程を学ぶことが大切
私は生命現象をきちんと科学的に理解させることが理科では重要だと考えている。高校では、生物の発生(受精卵から成体になる過程)の教材としてウニとカエルが登場するが、両者とも一つの精子しか卵には入れないので、ヒトと同じである。しかしながら、他の動物、例えばイモリでは一つの精子が卵に侵入しても他の精子の侵入を阻止することなく、卵は複数の精子と受精(多精受精)する。卵細胞膜が精子の侵入を拒否する仕組みをもっていないので、多数の精子が卵内に侵入するのである。正確にいうと、精子の卵への侵入の仕方は種によって異なるのである。性教育では、生命の誕生を扱うときに「受精」に焦点を当てて語られることが多いが、受精の様式よりも受精後の発生過程の理解を重視した指導が好ましいと考えている。
生物のからだは、一つの細胞が分裂を繰り返して、手や足などが次々に作られていく。人間を含めてどんな生物も発生過程を経て『生命』が誕生するのだということを理解することが重要だと考えている。生まれたときの性別の判断は外性器の形でなされるが、胎児の初期では同じ形をしていて、アンドロジェン(男性ホルモンの一種)・シャワーをあびると男性化するのである。このことを学ぶことは、「ヒトの基本は女性型で、初期の未分化な時に発生の方向を曲げられることによって男性ができる」ということを理解し、性の違いについて考える材料にもなると思われる。
現在、私自身は、高校の生物の授業以外に、総合的な学習の時間の枠で性教育を盛り込んだ授業「生命」(高校2年生対象2単位)を開講しているが、その授業「生命」を成り立たせるための基礎知識は「生物」の授業に依存している。20年以上、HRを中心に性教育に関わってきたが、今回は、「生物」を教える立場で、どのように授業を展開してきたかを、生物の発生過程を生徒たちに楽しく学ばせ、考えさせる教材の開発例を通して紹介したい。
アカハライモリを使った初期発生の観察
教材にはアカハライモリを用いた。アカハライモリは、北海道・沖縄を除く広い範囲に分布し、比較的容易に入手できる代表的な有尾類の種である。
体外受精で、孵化まで透明なゼリーの中で成長するので、各器官が形成されるようすが観察しやすいことと、多くの教科書で材料として紹介されているカエルの仲間に比べて、卵が大きく、卵を扱う作業がしやすいという利点がある。
また、胚の発生過程を観察する準備段階で受精卵を採取する必要があり、カエル類は、魚と同じ体外受精なので、人工的に受精させるか、産卵時に雄による抱接が必要である。しかし、イモリはゴナトロピン(性腺刺激ホルモン)を注射するだけで、受精卵を採取できる。今回は採取した受精卵(1匹で多い時は50個以上)を使って、発生過程の観察及び結紮実験をおこなうことを計画した。
実験の準備
産卵には、前述のゴナトロピン注射による産卵誘発でおこなった。繁殖期のイモリは貯精嚢(総排出腔付近の各細管)に精子を保持(貯精後6カ月以上受精可能)し、産卵時に体内で受精させる仕組みになっている。産卵時を発生のスタート(受精時)と考えて観察することができる。
注射したイモリを入れた水槽に細いビニール紐を入れておけば、その紐に卵を包む形で一つずつ産み付けるので、ピンセットでゼリーをしごくようにして、採取すれば卵を痛めることはない。また、卵を一個ずつ産むので、一匹の雌が産む卵であっても、発生開始に時間的なずれが生じるので、発生的に異なった段階の胚を観察することができる。孵化までに要する日数は、飼育水温が上がるにつれて短くなる。15℃で約35日、20℃で約20日である。
授業の展開
授業は、①アカハライモリの特徴及び生態の理解(ビデオ教材を利用)、②初期胚の観察及びスケッチ、③各発生過程の理解(ビデオ教材を利用)、④胚の結紮実験の順に進めた。
①では、雌雄の区別、春の繁殖期と冬の越冬期の野外での様子と繁殖行動を紹介した。積雪下の水田側溝で多数のイモリが群れているシーンや、配偶行動(雌が雄の産み落とした精包を貯精嚢に取り込む)を見て、貯精の仕組みや受精のさせ方などに興味を示した生徒が多かった。
②では、アカハライモリの卵は直径約2㎜あるので、カエルの卵に比べて観察しやすい。観察には、生きた胚を用いた。発生初期に固定すると変形して細胞が変質するので、2細胞期や4細胞期は生きた細胞しか見えない。また、生きた胚はゼリー層も透明で、胚表面の細かい細胞まで見え、固定胚の観察に比べて比較にならないほど生徒の感動は大きい。
③では、教科書や副教材の図だけ見ていると、時間的な経過が把握できないので、今回作成した〝早回し〞のビデオ教材を使用した。孵化までの24日間を15分に短縮して編集してあるので、初期発生がいかに早く進んでいるかを体感し、各発生段階と所要時間の相対的な関係が理解できる。
④では、絹糸は3本の糸をよっているのを解して使った。糸でイモリの卵より少し大きめのループをつくり、その中央に卵をはめ込むように入れ、ピンセットで縛った。授業では15分程度と短く、成功は一割程度であった。放課後、もう一度試みた生徒が数人おり、好奇心をそそる実験だったようだ。
生徒へのアンケート
生徒の自己評価をみると、「卵割からいろいろな器官に分化する過程が理解できた」、「発生の仕組みに興味をもった」がともに86%であり、学習の動機づけにはなったようだ。
一方、技術的には、「実体顕微鏡の操作が身についた」が81%、卵の結紮は、「うまく縛れた」が62%と少なかった。しかしながら、生徒の感想に「今まで映像で見てきたイモリの胚を実際に見て、映像や写真通りに卵割の形が見られて、とても面白かった」、「胚をしばる実験をおこなって、発生学と言うのは普段の生活の中からアイデアが浮かび、様々な角度から発生をみる学問なのだと思った」などの声が聞かれた。技術的には難しい実験でも、授業への導入を工夫すれば、生徒にとって十分興味付けの効果があると実感できた。
まとめ
発生教材として、カエルの仲間がよく用いられるが、受精率と胚の観察のしやすさでは、イモリの方が優れていると考えられる。ヒトなどの哺乳類の初期発生は体内で進み、ニワトリなどの鳥類の発生は輸卵管と卵殻中で行われるのでたやすく観察できない。それに対して、イモリなどの両生類は、受精から孵化までの過程が、透明なゼリー中で進むので、初期発生からすべての段階を観察できる。受精卵の縛り方によって双頭の幼生や別々に分かれて2匹のオタマジャクシになったりする結紮実験を通して、発生初期はその後の成長に大きな影響を与えることも理解できたと思われる。一卵双生児ができる仕組みも理解できる。
また、サリドマイドは睡眠薬として妊婦のつわりや不眠症の改善のために多用され、四肢の発育不全を引き起こし手足が極端に未発達な状態(アザラシ肢症)で生まれるという悲劇を起こしたが、妊娠初期での薬物は胚発生に影響するということを再認識させることにも役立つと考えられる。また、今回の産卵誘発に使用したゴナトロピンは黄体形成ホルモンの代わりに不妊治療で使われる薬剤である。このイモリを使った実験は、薬剤の働きや副作用・薬害について考える機会も与えてくれる。
ただ最後に、私たちが忘れてならないのは、イモリを野生生物の保護の観点から見て扱うということである。かつて、イモリは珍しい生き物ではなかったが、現在、個体数を急速に減少させている種の1つであるということである。行動範囲が狭く、また湿地という不安定な場所に生息しているため、人間の生活の影響が大きく、生息環境の改変やペットとしての捕獲によるダメージを受けているということである。
21世紀は生命科学の時代だといわれている。現代の理系の分類では生命科学に関連した分野が多くなっていることに気づく。生命科学は私たちの健康や生活に密着したものになっている。「生物学」も従来のように動植物を対象としたものから、直接でなくとも人間を対象としたもの「生命科学」に変わってきている。
しかしながら、ヒトを中心にすべてを考えるのではなく、人間も自然環境の一部であるという認識を忘れてはならない。人間を学ぶために必要な知識を動物から学ぶことも必要なのである。