14年前の9月2日にバーバラマクリントックさんは亡くなった。その人生は、Keller, Evelyn Foxが著した”Feeling for the Organism : The Life and Work of Barbara McClintock”という本で紹介されている。
日本でも、亡くなったときに彼女の人生の一部が新聞に紹介されていた。
「・・・・米国の女性遺伝学者バーバラ・マクリントックさんの一生は、トウモロコシひとすじだった。遺伝現象の解明のため、・交配実験を繰り返すこと約七十年。結婚せず、弟子をつくることもなく、生活は一九八三年のノーベル医学生理学受賞後も変わらなかった。激しい競争の中、次つぎに華やかなテーマを追い求める傾向が強い米国の科学界では異色の「孤高の人」だった。 トウモロコシの実の色の遺伝に「動く遺伝子」がかかわっていることを示したのが五一年。だが、自信をもって発表した論文は、関心をひかず、別刷の請求はたった三部。ワトソン、クリック両博士の「DNA二重らせん説」の二年前。まだ、遺伝子の実体さえ明らかでないときだった。
「あまりに進みすぎていた」。マクリントックさんと直接接した数少ない日本人の一人である太田朋子・国立遺伝学研究所教授は話す。「そのために、画期的な論文が、発生学や進化論の珍説奇説に、埋没してしまった」
マクリントックさんは、ますます引っ込み思案になった。「いつでも畑に入れるように」と黒いズボンと運動靴姿で、畑と研究室の往復を続けた。その成果の論文は多くが単独名で、研究所の年報にしか発表しなくなった。
利根川進博士による免疫系での遺伝子再構成発見などで、「動く遺伝子」の重要性がわかり、ノーベル賞を受けた。だが、受賞の記者会見では、「おやまあ」のひと言を残して姿をくらました。戻ってきても「喜びは研究で十分味わった。そのうえ賞なんて」と短く語るだけ。トウモロコシと「しゃべって」いれば、それで十分な人だった。・・・」