両生類は、水辺環境が全くない場所では生きることができない。カスミサンショウウオの飼育をしていて変態期に蓋をするのを忘れていて、容器の外に逃げ出した個体の多くを、水分欠如が原因で殺してしまったことがある。両生類は、水分をまったく補給できない環境では一晩で死んでしまうのである。このように水との関係が密接な両生類にとって、最近の水田の基盤整備や土地造成などの開発工事は、その生息に深刻な影響を与えている。水辺環境は生命線なのである。水田地帯や宅地を流れる河川の多くは、3面コンクリートで固められ、ため池も出水口付近だけでなく、周囲をぐるりとコンクリートで固められた姿をよく見るようになった。人間にとっては、コンクリート化は、メンテナンスに費用がかからず、管理しやすくするための合理的な方法であるだろう。しかしながら、一方で植物は繁殖しにくく、水が浄化されにくくなり、水底に汚泥がたまって悪臭を放つようになっている。また、ため池では、コンクリートの表面に藻類が付着し、滑りやすくなり、子どもが近寄るのも危険な池になり、周囲を金網の柵が取り付けられることになる。人間が近寄らないことは、子ども達にいたずらされる機会が減るということで、生物にとっていいことだろうか。コンクリート化によって、卵が孵化し成長するのに欠かせない環境の水質を悪化し、土や石の隙間にある越冬場所が無くなり、植物に群がる餌となる昆虫を減少している。湯川秀樹の「人間と自然」と題した作品の冒頭に「自然は曲線を創り、人間は直線を創る」という言葉がある。「遠近の丘陵の輪郭、草木の枝の一本一本、葉の一枚一枚の末にいたるまで,無数の線や面が錯綜しているが、その中に一つとして真直ぐな線や完全に平らな面はない。これに反して、田園は直線をもって区画され、その間に点綴されている人家の屋根、壁等のすべてが直線と平面とを基調とした図形である」。さらに話は「しかし、さらに奥深く進めば再び直線的でない自然の真髄に触れるのではなかろうか」と話は進んでいく。理論物理学の学者の話であるが、今後の自然に対する関わり方に示唆をあたえてくれるように感じられる。湯川の言う通り、人間が直線を好むのは、それが簡単な規則性に従うので扱いやすいからであろう。このように人間はこれまで合理的を求めて人間社会は発展させ、豊かにしていったのは確かである。かといって、今さら元の生活に戻すことは不可能である。では、どうしたらいいのだろうか。こういう時期だからこそ。知識を深め、人間の豊かさをあらためて問い直すことによって、人間の生活と生物の生きやすい環境のバランスを考えた新しい局面に遭遇できるのではないだろうか。両生類の保護では、繁殖地を保護するだけでなく、繁殖地に結びついた後背地の森林を含めた生態系全体の保護の必要を考えなければならない時代が到来している。
(『ため池の自然』(信山社)より一部抜粋:秋山繁治)