1990.7.16清心図書館報より
原爆詩集の中に次のような詩があります。
花 近藤兼
房爆をおとした国がおとされた国の町の小高い岡の上に きれいな病院を建てました
「ゲンバクヲウケタ人ハ シラベテアゲマス エンリョナク来ナサイ」
それでも行かない人がいました
十年たっても行かない人がいました
今でも行かない人がいます
「シラベタカッタラ 自分ノ国ニオトセバイイノニ」
六十年は生えないだろうといわれた草も生え
花も咲くようになりました
人の心はそうはいきません
日本の原爆文学13より
この詩が載っている原爆詩集は図書館にあります。あまり読まれた形跡はなく、真新しい姿のまま本棚に眠っていました。この詩を読んであなたはどのように思ったでしょうか、なにかしらの感情が、作者に対して起こった人は、共感する心を持った人だと思います。その共感のしかたは、原爆を体験した人、原爆の体験者をよく知っている人、原爆は体験しないけれど、他人の行為のために大切なものを失った経験のある人など、それぞれの状況で異なります。でも、共感する感性を持っているということは確かです。
私の原爆についての思い出は、大学の時の下宿のお婆さんとの話の中にあります。私の父親が離職したり、事故をしたりして、いろいろなつらいことが続いたときに、下宿のお姿さんが次のような話をしてくださいました。「一生っていうのはいろいろなことがあるものだよ。実は本当の一人娘は、結婚してすぐに、夫が出兵してしまい、一人で山口へ疎開する途中、原爆投下直後の広島に通りかかり、被爆して闘病生活の後、死んでしまったんだよ。運が悪かったんだよ。今の娘は養女なんだよ。でも、よく今まで私を大切にしてくれたよ。今の娘にしても、運が悪いんだよ。父親は屋根仕事をしていて転落し、使っていたハサミが後から落ちてきて、道悪く腹に突き刺さり死んでしまったんだよ。一生の中にはいろいろ運の悪いことってあるものだよ。ある時期は苦しいことだらけかもしれない。でも、じっと辛抱していけば、いつかはいい時がくるよ。」という話でした。岡山で生まれ育った私にとって、唯一の身近な人の原爆の話です。
この詩に出会った時、私は原爆を落とした国に対する作者の憎しみを感じました。自分以外の他者によって運命が不本意なものとされたという憎しみを感じたのです。でも、理解し感じとった部分と共感する部分は、必ずしも一致していなかったように思います。この作者の憎しみを、制限されて不本意な形でしか過ごせない自分自身の生活に対する憎しみに、重ね合わせて共感していたように思います。そして、自分らしく生きなければとか、生き方を圧迫するものには自分自身で拘って行動せねばという思いに自分を駆り立てていました。
この詩に出会ってからもう約十年の年月が過ぎていきました。学校生活、予備校講師、そして高校教員として過ごしてきた生活の中で、今、改めて自分はどのような生さ方をしてきたのだろうかと考えると、ふと、不安がよぎります。とにかく、年月の流れの中で、一つのことに執着しないで、今まで登ってきた階段を自分のすぐ後ろからばっさりと切り放すことに慣れてしまっている自分を感じるのです。そして、現実を肯定することが、うまく生きて行く秘訣だと理屈をつけて、なるべく自分自身から切り放したところで、すべてのことを処理していこうとしている姿勢を感じてしまうのです。
高校生だった頃、戦争の思い出を誇らしげにながながと話をする人が嫌いでした。それよりは、自分の戦場でのことを辛く一言も口にできない人が好きでした。「てがら」を主張するのも、「つらさ」を吐くのも、戦争を本当に自分の責任として受けとめているのなら、そう簡単に口を開けるものではないと思ったからです。
今、生きている戦争体験者はどのように捉えているのでしょうか、戦争について、当時軍事訓練に参加した人へのアンケートがあります。参加した動機として、「半強制的」と答えている人が42.2%、「強制的」が29.1%で、あわせると71.3%です。つまり、大部分は自分の意志ではなく、いやいや参加したということになります。また、活動の感想については、「しかたがなかった」が41.9%、「つらかった」が25.3%、「いやだった」が13.8%にもなる。あわせると81%にもなります。つまり、ほとんどの人が戦争に参加させられ、しかたなく参加したというように考えているということです。ある人は、多くの人が積極的に参加したのでないことば幸いである、と言うかもしれません。しかし、「しかたがなかった」という答えに、自分の責任ではないとう意味も重ねられていると思うと恐ろしい気がします。世界を巻き込んだ戦争ですら、その起こした国の国民のほとんどが 「しかたがなかった」と考えているということです。その「しかたなく」 の延長線上に、日常生活に追われている人々のつくる現代社会の流れの方向 があるような気がします。いじめをしている集団の中では弱者をしかたなく殴り、多少の不正があっても相手が強者であればしかたなく従う、人の不幸に対してしかたなく見ない振りをする。すべてをしかたないところに封じ込めることを認める社会は責任を回避する社会です。戦争体験にしても、当時は自ら進んで参加したという意識をもつ自立した人間の集団であって初めて、悪かったという自覚や戦争を否定する姿勢が生まれるのです。同じ事柄であってもしかたなくではな、自分自身が、決意してしたことなら、悪いという自覚もこれからやらないという決意もできるわけです。そう思いながら、今の自分はどうかと考えると、不本意ながら社会の流れに同調して、「しかたなく」今のようになってしまった、と納得しようとしている自分を見つけてしまうわけです。高校生活の中でも、自分たちのやりたいことと、やっていいことには大きな差があります。だから、いろいろな「しかたなく」の部分が学校生活の中に存在します。受験勉強のためにとか、校則で決められているからとか、時間が無いからとか、いろんな理由があると思います。しかし、その「しかたなく」 の中に、大切な自分自身に対するこだわりまでしかたなく失ってしまうのはもったいないと思います。
たくさんの「しかたなく」を体験した大人からの一つのお願いがあります。ときには、詩や小説を読み、人の苦しみや喜びを共感し、自分自身の生き方を大切にする心を失わないで欲しいものです。『試験にでる英単語』も『チャート式基礎解析』も受験のためという実用性を考えると、多くの時間を費やすのに意味があります。でも、実用性をすべてにしたら悲しすぎると思うのです。たまには、人間の生きざまの込められた詩や小説を読める心の余裕を大切にして欲しいと思います。
「絶望させる悲しい小説読むことから絶望は生まれません。鉄道の時刻表しか目にとまらない心に絶望が忍び寄っているのです。」