ついこの間、私の所属する研究室で、助教授によるマダガスカル旅行報告会が行われた。といっても、その助教授と京大の先生との2人旅を写真で紹介する程度の内容だった。たくさんの、マダガスカルの人々の生活と町並み、売られている牛、そして現地の野生動物、ワオキツネザルやインドリなどの原猿類にサギの仲間の写真。そしてそれらの写真の間に出てきたのが、ガイドの背中にへばりついたイグアナやヤモリ、昆虫たちであった。緑色の巨大なイグアナの写真が大きく映し出されたとき、研究室の人々の間にざわめきが走った。ある女性メンバーは、小さく悲鳴を上げた。「可愛い!」 人生において初めて蛇を見つけたのは、小学校の帰り道だった。川沿いの草むらに、縞々の蛇の背中がのぞいていたのを今でも覚えている。子供の頃の私はとても利口だった。蛇をもっと良く見たいという思いもあったが、蛇は咬む生物で、一部の蛇には毒があり、咬まれると危険であることをちゃんと知っていた。小学生の私は蛇を横目で見ながら足早にその場を立ち去った。次に蛇に出会ったのは中学生になった頃だったと記憶している。中学生にもなると、私は小利口になっていた。蛇はかむが、かまれて危険な蛇はごく一部であり、めったに出てこないことを知っていた。そうなると私の欲求を抑える理由は何も無い。今度は喜んで蛇を追った。そして当然咬まれた。今あの時のことを思い出すと、まるでそれ以降の私の、動物への対応を全て物語っているかのように見えてくる。今の私は小利口どころか、大馬鹿である。爬虫類も両生類も節足動物も、もちろん鳥や哺乳類、様々な軟体動物たち、異国の奇妙な植物たちには触れなくては気がすまない。残念ながら魚類には他の動物ほどの強い衝動を得られることは無いが、それら生物たちを実際に見たい、触れたいという感情がある。目の前の生物と私の知識とを比較して、触ったら有害という結果さえ出なければ触りにいく。たとえ有害であっても、何らかの方法でその生物をいじりたい。どうして自分の中にこのような感情があるのか、私には全くわからない。これからの人生、より様々な生物を見て過ごして生きたい。この感情におもむくまま、気が付いたら私は大学にいて、そしてさらに動物生態学の研究室に入っていた。
先ず大学に入った時点から、清心にいた時代と比べて当然、周囲には生き物に魅了されている人々が多かった。その中で私は、鳥を追いかけては他の大学生にひかれ、昆虫を平気で触っては他の女性に信じられないと言われ、さらには通りすがりの犬に夢中になっては、何故か同じ学科の友達にすら苦笑いをされてすごしてきた。私に影響されて,2人くらい生物好きに道を踏み外していったほどだ。そんな、比較的生き物が好きであるという事で疎外感を得ていた3年間から、研究室で聞いたイグアナへの感嘆の声は、ついに行くとこまで行ったという感動を私にもたらしてくれたのである。生物への不思議な衝動を持つ人たちが、こんなにも集った研究室にたどり着いたのだ。小学校の頃の自分から随分遠くまで来たものだと、感慨深く感じたものだ。
現在、私は先にも書いたとおり、生態学の研究室にいる。実験材料はマメゾウムシという、アズキや大豆などの豆につく害虫である。害虫とはいえ、駆除するために研究するのではない。ショウジョウバエのように、実験室で飼育され、モデル生物として系統が作られている。私がこれから卒業研究でやろうとしているのは、有性生殖を行う生物の、種分化の仕組みに関することである。こう書いていくと何だかとても格好いいのだが、実際はまだまだだ。実験を組み立てるために知らなくてはならないことはまだまだあるし、これから私の大嫌いな勉強もたくさんしていかなくてはならない。ちゃんとついて行けるかとても不安なのであったりする。なぜ自分がこの分野を選んでしまったのか、疑問を持ったりもする。それでも自分の中に、子供の頃から変わっていない感情はちゃんと存在していた。生き物を前にして感じる事ができるこの感情を、今はそれだけを信じて、自信の無さのあまり、簡単な方向へ逃げ出したくなるのを踏みとどまっているのである。
これから、こういった分野に進学を考えている方には、ぜひそのまま迷うことなく突き進むことをお勧めする。友人がなかなかの名言を教えてくれた。こういう分野は、やろうと決めたらそのまま立ち止まらずに突き進むべきである。疑問を感じて立ち止まってしまうと、もう進めなくなる、と。私は一度立ち止まりかけて、また走り出そうとしている状態である。確かに、止まってしまったら走り出すのには莫大なエネルギーが必要だ。ぜひ皆さんには立ち止まらずに進んでほしい。そして万が一、やりたいことと違った時には、いくらでもやり直して走ってほしい。当然、その過程にある大学受験は、あくまでも過程でしかないことも知って欲しい。私が受験生の頃には、まるで大学受験を人生の目的に考えているような人たちはたくさんいたし、予備校などでは大学に落ちると人生の失格者であるような雰囲気であった。けれど本当は、大学とはそんなところではない。大学の同級生にはたくさんの浪人生がいる。研究室にはすでに子持ちの院生がいる。そんなことはたいして気にされない。問題とされるのは、むしろどれくらいやりたいことに対して努力したかである。もし、生物や物理や化学,地学,農学に看護士,医学など、自分のやりたいことがあるのであれば、ぜひ様々な過程に迷う事無く、突き進んでもらいたいのである。
筑波大学 第二学群生物学類 4年次 基礎生物学コース所属 森藤倫子