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日本生物教育会第52回全国大会(仙台)の報告

1997年8月10日

平成9年度日本生物教育会第52回全国大会仙台大会は、仙台七夕祭りの直前の8月4日から7日までの4日間の日程で開催された。4日は全国理事会、5日が元東北大学総長の西澤潤一先生の講演と4会場での研究発表、6日は2会場での研究協議と「ササニシキ」を生んだ宮城県農業試験場総括研究員の松永和久先生記念講演であった。6日の午後から7日にかけては、4コースに分かれての現地研修が行われた。

1.講演について
 西沢潤一先生は、「これからの理科教育」という演題で話された。これから社会を担う世代を育てる理科教師の役割について考えさせられる講演であった。湯川博士が大阪大学へ赴任されていたときの話もされた。湯川先生が八木という先生に頭ごなしに、「大学を出てから5年もたって論文を書けないとは何事か」と怒鳴られて、ノイローゼ状態まで追い込まれて書いたのがノーベル物理学賞の論文であったとエピソードを話された。そして、最近の大学での研究で3年たって論文ができないような人は大学を辞めろというような風潮に対して、創造的な仕事には、理解してくれる環境や時間が必要であると話された。また、「これから創造的に研究していこうと思うなら、すでに研究成果が評価された研究者に師事するのではなく、今、最先端の分野に取り組んでいる研究者に師事しなさい」という言葉が印象に残った。また、西沢潤一先生はこの後、8月24日に里庄町の仁科記念館で、高校生対象の講演もされている。第8回仁科芳雄博士顕彰記念講演会の西澤先生の講演については、講演集がだされるので参考にしていただきたい。
また、松永和久先生の講演では、「ササニシキ」、「ひとめぼれ」の開発の過程とこれからの品種改良の展望について述べられた。冷害に強く、多収であり、かつ商品価値の高い良質良食の品種の開発をしようとする意気込みが感じられた。
2.研究報告について
 「インターネットの生物教育への利用について」は、多くの学校にコンピュータが導入される状況下で注目される発表であった。本校でも来年度から「国際情報」という科目で授業が開設される。週一時間の設定である。その準備として、1998年1月に25台のパソコンをLAN接続でインターネット接続できるようになった。生物の授業や教育活動全体の中でどのように利用できるかという気持ちがあったのと、発表されたホームページを事前に偶然見ていたので、興味をもって聞かせていただいた。 その発表ではインターネットのホームページを作成し、「生物教室」というコーナーを設けて、その中で教材を提供していることが紹介されていた。具体的には、土壌動物・プランクトン・水生昆虫の検索用ページや、「唾液染色体の観察」など実験観察の記録を紹介したページなどがあった。インターネットについては、これから各学校でいろいろな教材化への取り組みがなされていくにちがいない。
 「ツチクジラの頭骨標本制作」という発表も目新しい教材であった。日本では伝統的に捕鯨が行われ、鯨肉が食用、鯨油は医薬品や化粧品の原料、骨はビワの肥料としてなくてはならないものであった。「鯨は捨てるところがない」とも言われた。しかしながら、最近では骨は費用を支払って引き取ってもらわなければならない状況なので、その骨を供給してもらい、教材化しようというものであった。標本の作り方の紹介や進化の過程をを考える教材としての位置づけなどが紹介された。
 今回の研修後、トウホクサンショウウオの幼生を探す目的で行動したついでに、8月7日から8日に牡鹿郡の捕鯨の町鮎川で、クジラの解体を見学してきた。近年、捕獲できる鯨の種類が指定され、捕鯨頭数が年間で決められている。幸運にも解体を見ることができた。全長約10mのツチクジラの解体は、年輩の作業者がリーダーとなり、てきぱきと約1時間で行われていた。水揚げの時間によっては、真夜中でも行われる作業である。研修後、撮影したビデオを生徒に見せたが、生徒はくいいるように見ていた。教材としての活用しやすさを実感した。
 「千葉県におけるトウキョウサンショウウオに関する研究」や「河川におけるニホンイシガメの越冬状況」などの発表では、いずれも冬季の水辺や水中での継続した観察がなされており、根気強い取り組みに感心した。
3.研究協議について
 研究協議は、「生物教育における探求活動と課題研究」と「明日を目指す生物教育」というテーマで、2つの会場でおこなわれた。「明日を目指す生物教育」での3つの問題提起のうち、2つは環境教育に関するものであった。生物の授業においても環境教育の重要性が示唆された。学校焼却炉廃止問題にまで発展したダイオキシンの問題や内分泌攪乱化学物質(環境ホルモン)などの問題も社会的に大きく取り上げられるようになってきている。生物の授業の中でも、継続した自然環境調査などを通して、人間と自然の関係を再考するというような取り組みが必要な時期にきている。  3.現地研修について
 「東北大学理学部付属植物園・自然史標本館コース」(半日)、「南蔵王縦走コース」(1泊2日)、「金華山・牡鹿半島コース」(1泊2日)、「伊豆沼・栗駒」(1日2泊)の4コースが計画されていた。そのうちの南蔵王縦走コースに参加した。1日目は火口湖(お釜)と火山荒原植物群落を観察した。山麓では、好天に恵まれたかのように感じられた天候も、火口付近に近づくにつれて急変し、豪雨になりゆっくりと観察はできなかった。2日目は、南蔵王を縦走した。刈田峠から前山を通って、芝草平に向かった。主催者の予想を越えた人数での登山となった。昼食、行動食の駄菓子と水を各自が持って登った。芝草平で散策時間を取り、キンコウカ、ヒナザクラ、トキソウなどを観察した。屏風岳から南屏風岳に向かうあたりから、天候が急変した。風も強く、何とか雨風を凌ぎながら、杉ヶ峰で昼食を取り、早めに下山した。雨で足下が悪く、転がりながら降りたという感じであった。そんな時でも、平然と歩いている引率者に、山歩きの経験の差を感じた。
4.今回の研修で
 最後に、なかなか訪れることのできない東北地方で自分自身の収穫について報告したい。具体的には、先に言及した捕鯨の町鮎川でのクジラ解体の見学、トウホクサンショウウオの調査、青森県天間林村で開かれた「コウモリフェスティバル天間林」への参加が印象的であった。
南蔵王から夕方仙台に帰り、8月7日の夜に鮎川へ到着した。すぐに、クジラの解体関係者にクジラがあがるかどうかの情報集めに行ったが、就眠されていたので聞けなった。あまりに早く就眠されているので不思議に思いながらも、あきらめて翌朝解体場を訪れてみると、解体が終わった直後で、解体関係者の方々が家族に持って帰る肉片を荷造りしているところであった。ここしばらくクジラがあがっていなかったが、先日夕方、夜中に水揚げがあるという情報が入り、昨日は早く就眠されたそうである。この話を聞いて初めて、クジラの解体は上がる時間にあわせて真夜中でも行うのだということを知った。
 8日に朝から、トウホクサンショウウオの幼生を探しに行った。私は岡山の小型サンショウウオを、ここ10年ぐらい観察してきている。せっかく東北に来たのだからということで、その土地の人の情報をもとに、幼生を確認することができた。見つけた場所は、少し流れがある溝であった。夕方、鯨解体見学を半分あきらめていた時に、別の捕鯨船が捕獲したので水揚げがあるという情報が入った。今度は、ツチクジラの雄1頭の解体を最初から最後までしっかりと見学させていただいた。
 9日に青森県天間林村に向かった。9日から2日間の日程で、コウモリフェスティバルが中央公民館で行われた。また、9日夕方からは、天間舘神社で観察会ももたれた。神社の立て札には、「ここ天間舘神社は、トウヨウヒナコウモリの貴重な繁殖地です。このヒナコウモリは本州中部以北の森林に生息していますが、妊娠した雌が子を産み、育てるために大きな繁殖集団をつくることが知られています。ここ天間舘神社には、数年来我が国最大の集団が作られているのです。つまり、毎年4月10日頃から集まり始めた数千頭の雌が7月初旬に二頭ずつの子を産み、哺育し、9月初旬に飛び去るまで、この周辺で生活しているのです。夕方ここをでたコウモリたちは、早朝まで水田や山林の上を飛びながら、たくさんの虫を食べていますので、農林業上大変役に立っています。ところが、最初神社の天井裏に住みついたものですから、多量の糞がまき散らされ、その悪臭や後始末に困ってしまいました。幸い天間林村や県民有志の暖かい援助を頂いて、昭和52年4月、コウモリ小舎が設置され、専門家たちの指導によって、昭和52年8月26日、コウモリ小舎への移動が成功したものです。」とある。また、コウモリの移転についてはすぐに成功したものではない。小屋内の環境調査や糞尿をなすりつける匂い付けづけ、3回に分けての捕獲による強制移転などの試みがあったが失敗している。コウモリがやってくる4月前にあらかじめ神社の屋根裏を網でふさぐという措置によって、小舎に自発的に入っていくことによって成功したということである。それには、地元の三戸高校の先生と生徒の協力があり、現在でも三戸高校の調査研究が継続して行われているということであった。今回のフェスティバルでも、会場での研究成果の発表と夜の観察会でのコウモリの測定や足にアルミ製のリングを付ける実演が企画に盛り込まれていた。

  • 投稿者 akiyama : 10:58

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