最近おこった性教育に関わる出来事としては,エイズがある。エイズ感染予防対策の一環として,1992年10月に「AIDS正しい理解のために」という小冊子が,全国の高校生ひとりひとりに配布された。そして,エイズ教育が話題になり,教師向けの指導資料が配布されたり,研修会が設定されたりして,色々な機会にエイズ予防についての啓蒙活動が展開されるようになった。教師の中にも,熱心にエイズ教育に取り組む人たちが現れ始めた。例えば,1995年8月に千葉県で開催された日本生物教育会(JABE)第50回全国大会でも,大阪の高等学校教師グループが,生物授業で特別にエイズ教育のための時間を配当している実践例が報告された。発表ではエイズを感染予防の面からだけとらえるのではなく,生物学的(科学的)に理解するとともに患者や感染者の人権保護の面からも考えなければならない点が指摘された。
性に関する問題については,生徒指導的・道徳的に扱われることが多く,性に関する教育(性教育)の位置づけができないまま,多くの教師から敬遠されてきた。しかし,最近のエイズの感染原因の多くが,性的接触であるということで,性についての基礎的な知識を扱う性教育そのものが見直され始め,性教育をめぐる状況が変化してきた。エイズという外的な要因によって,人間の性に関する教育をあらためて考える機会が提供されたのだ。
最近になって,研修会などでエイズ教育の実践例が報告されるようになったが,内容的には,文化祭でのエイズを題材とした取り組みや授業計画など,エイズに限定した内容が多く,また発表者も限定されているのが現状である。エイズをきっかけにして,性教育の価値の重要さに気づき,「エイズ教育をするためにも,また人間性豊かな社会をつくっていくためにも,本当に性教育が必要なのだ」という認識が欲しい。
また,エイズに関する教育に使用する資料に「正しく理解することによって,エイズに対する誤解や偏見を取り除くことができます」という記述を見かける。科学的な正しい理解をすれば,差別はなくなるという意味かもしれないが,そうではないと思う。「他人の身になって考える」という隣人愛が学校も含めた社会全体に欠けているという点が大きな問題だと思う。それは今までの教育の中で一番見落されていたことであり,資本主義の論理と個人主義が作った社会の問題である。エイズについては感染予防的な知識を学ぶだけでなく,背景としての社会,性文化についても見直し,考えていかなければならない。