ハブ型オープンラボ教育プログラムの開発
「ハブ型オープンラボ教育」は、単に学校の中に高度な研究室を設置して、生徒の課題研究を支援する仕組みではありません。その核心は、学校という場所を「知識を教える場所」から、「問いが生まれ、研究が継続され、人と人がつながり、新しい知が生み出される場所」へ組み替えることにあります。
最終的な目的は、研究成果そのものではなく、「人は問いを持つことで自由になる」という教育を推し進めることにあります。
1.出発点は「研究のできる生徒を育てる」ことではない
通常、学校で「研究教育」というと、課題研究を充実させることだと考えられます。研究テーマを決め、実験を行い、データを解析し、発表会やコンテストに出す。その意味ではSSHも、多くの場合、「高度な課題研究を実施できる学校をつくること」と理解されます。
清心女子での生命科学コース、森林実習、海外研修、授業「生命」、科学英語、課題研究、学会発表などを振り返ると、すべてに共通しているのは、まず生徒を世界に出会わせることです。
生物を見る。森に入る。動物を飼育する。海外へ行く。研究者と話す。予想と違う現象に出会う。そこで生徒の中に、「なぜだろう」という違和感や驚きが生まれる。研究はそこから始まります。したがって、研究教育とは、最初から研究テーマを与えることではありません。「問いが生まれる可能性のある環境をつくること」にあります。ここがハブ型オープンラボ教育の最初の重要な特徴です。
2.「観察から制度へ」という発想
しかし、問いが生まれるだけでは研究は続きません。例えば、生徒がイモリを観察して、「なぜこの時期に求愛するのだろう」
「雌はどのように精子を保存しているのだろう」
「温度によって繁殖行動は変わるのだろうか」
という問いを持ったとしても、それを研究にするには、長期間の飼育、記録、顕微鏡、組織標本、統計解析、文献、研究者の助言などが必要になります。さらに生きた動物を扱うなら、「この実験をしてよいのか」という倫理的問題も生じます。
そこで、観察 → 問い → 研究だけでは終わりません。その後に、問い → 研究環境 → 制度という段階が加わります。
有尾類研究所で重要なのはここです。研究室、飼育室、研究設備、記録、研究者とのネットワーク、動物実験規程、動物実験委員会、大学との連携、他校生徒の受け入れ。これらは一見すると研究をするための「設備」と考えられますが、それは生徒の問いを消さないための制度なのだと思います。
問いを持った生徒がいても、教師が、「設備がないから無理」、「学校ではそこまではできない」、「高校生には難しい」言えば、その問いはそこで消えてしまいます。
だから研究所をつくる。これは研究施設の整備であると同時に、問いを生き延びさせるための制度設計なのです。
3.「オープンラボ」の意味
南九州大学で行った高校生オープンラボは、現在のハブ型オープンラボの重要な原型でした。通常、大学の研究室は大学生や大学院生、研究者のためにあります。しかし、それを高校生にも開く。すると高校ではできなかった研究が可能になります。ただし、先生のオープンラボにはもう一つ重要な意味があります。そこに高校生の研究を伴走して、対応な関係で問いを共有して援助する高校の教員も入ることです。
つまり、高校生、高校教員、大学生、大学院生、大学教員・研究者、が同じ研究空間の中に入ります。ここでは教師も「すべてを知っている人」ではありません。高校教師も研究者から学ぶ。大学生も高校生の研究に関わる。高校生自身が最も詳しい観察事実を持っている場合には、高校生が研究者に説明することさえあります。こうなると、教える人と教えられる人という固定された関係が崩れます。このことに学校教育を考える思想として非常に大きな意味があります。
4.「ハブ型」とは何か
そして南九州大学でのオープンラボから、山脇有尾類研究所ではさらに一歩進みます。
大学に高校生が出かけるのではなく、高校そのものを研究のハブにする。これが「ハブ型」です。
ハブとは、これまでの学校の教育活動の特徴であって、生徒や教員を管理し、すべてを支配するような中心をつくるという意味ではありません。それとは全く異なる考え方で、生徒が在籍する学校が単独で在籍する生徒を教育するのではなく、さまざまな組織をネットワーとしてつなぎ、生徒を取り巻く教育環境として機能させることを目指しています。現段階の文科省SSH事業での取り組みは、SSH運営指導委員の大学研究者、東京慈恵会医科大学、鳥取大学、東京都民の森、高校生両生類サミットに参加した高校、フィリピン大学、マレーシアUTHMなどとの連携を勧めながら、SSH事業でハブ型オープンラボ教育プログラムの構築を目指している段階です。
交通のハブ空港を考えると分かりやすいでしょう。そこにはさまざまな方向から人が集まり、そこから別の方向へ出ていきます。同じように有尾類研究所には、大学研究者、他校の高校生、高校教員、大学生、地域の人々、保全活動に関わる人、生徒、卒業生などがつながります。重要なのは、研究所が頂点になるのではなく、接続点になることです。ハブ型オープンラボの本質は、この「中心性」と「非中心性」が同時に存在するところにあります。
研究所は物理的には中心です。しかし権力的な中心ではありません。研究テーマによって、誰が中心になるかは変わります。イモリの組織研究なら大学研究者が技術的中心になることがあります。長年飼育してきた個体の行動なら、生徒が最も詳しい場合があります。
野外調査なら地域の人が最も知識を持っていることもあります。つまり、固定された上下関係ではなく、問いに応じて中心が移動する研究共同体なのです。
5.学校内完結型研究との決定的な違い
一般的な学校の課題研究は、生徒→担当教師→学校という閉じた構造になりやすい。すると研究の質は担当教師の専門性や経験に強く依存します。専門外のテーマが出ると指導できない。教員が異動すると研究が途切れる。設備がなければできない。生徒が卒業するとノウハウが失われる。そのため、研究活動がどうしても「その年、その教師、その生徒」に依存します。
これまでのSSH事業での教育実践を通して、そこに構造的な限界を感じてきました。だからハブ型オープンラボでは、「教師が全部指導できる学校」を目指しません。むしろ、「学校の外の知識や人材に接続できる学校」を目指します。
これは重要な逆転です。優秀な教員を大量に育成してすべてを内部で完結させるのではなく、分からないことを分かる人につなぐ能力そのものを学校の能力と考える。この発想によって、教員の役割も変わります。教員は「答えを教える専門家」から、研究の伴走者であり、関係をつなぐコーディネーターになります。
6.有尾類は「研究対象」であると同時に「媒介」である
なぜ有尾類なのかという問題も、私が長年研究してきた動物だからというだけではありません。イモリやサンショウウオは、発生、生殖、行動、生態、再生、環境、進化、保全という多くの領域につながります。例えばイモリの繁殖を研究するだけでも、行動学、生殖生理学、組織学、内分泌学、温度生物学、季節性、生息環境へと問いが拡大していきます。さらに野外に出れば、森林、生態系、環境保全、地域文化ともつながります。つまり、有尾類は、一つの対象から世界へ問いを広げることのできる生物なのです。
だから、有尾類研究所は「イモリを研究する学校施設」に閉じません。有尾類を媒介として、教育と研究、研究と保全、学校と大学、高校生と研究者、日本と海外、個人の問いと社会的課題をつないでいく。したがって「有尾類研究所」という名称は専門領域を狭める名称であると同時に、逆説的に、そこから世界へ開いていく入口になっています。
7.研究倫理は制約ではなく、教育そのものである
高校の課題研究では、研究倫理はしばしば最後に付け加えられます。「動物を大切にしましょう」、「倫理規定を守りましょう」、という注意事項になりやすい。しかし有尾類研究所では、動物実験規程を整備し、外部研究者を含む動物実験委員会まで制度化しています。これは単なるISEF対応ではありません。
むしろ、問いを持ったからといって、何をしてもよいわけではないという科学の根本問題を高校生に突きつけます。「知りたい」、という欲求と、「生命をどこまで操作してよいのか」という倫理が衝突する。ここで研究は初めて本当の意味で教育になります。
3RにRespectを加える考えも、この延長にあります。生命は単なる材料ではありません。つまり、研究する自由には、生命に対する責任が伴う。この点で、研究倫理は自由を制限するものではありません。
むしろ、責任を引き受けることによって研究者として自由になるための条件なのです。
8.成果主義から研究を解放する
さらに、ハブ型オープンラボは「評価」の問題とも深く関係しています。SSHや科学コンテストでは、どうしても、「受賞したか」、「論文になったか」、「発表会で評価されたか」、「大学進学につながったか」という成果が見られます。わたし自身もJSECやISEFなど、高度な成果につながる研究を育ててきました。しかし私が長年の実践の中で到達した考えは、賞を取ることそのものを教育目的にしてはいません。
研究で本当に重要なのは、「自分はなぜこれを知りたいのか」という内的な問いです。外部評価が強くなりすぎると、生徒は、「評価される研究」、「受賞できそうな研究」、「先生が喜ぶ研究」を選び始めます。そうなると研究は、自由になるための活動ではなく、再び他者評価への従属になります。だからハブ型オープンラボでは、研究結果だけでなく、問い、継続、試行錯誤、対話、深化、倫理的判断を含む研究過程そのものを重視します。
「評価は人を自由にするか」という問題と直接つながっています。
9.失敗できる場所をつくる
ここはハブ型オープンラボ教育の重要な教育的価値だと思います。本当の研究では、予想通りにならないことの方が多い。交配しない。産卵しない。データがばらつく。仮説が外れる。標本作製に失敗する。研究者に相談したら、自分の仮説そのものが間違っていると分かる。学校教育では、この「分からなさ」が扱いにくい。
授業には時間割があり、答えがあり、評価があります。しかし研究には終わりがありません。だから研究所という空間を学校の中につくることは、学校の中に「答えのない時間」を制度的に確保することでもあります。不確実性に耐え、自分で考え、それでも観察を続ける。科学教育で育てようとしているのは、研究技術以上に、この態度なのです。
10.「個人技」から「制度」へ
もう一つ重要なのは「継承」です。優れた教師が一人いて、多くの生徒を育てる。それだけでは、その教師が退職すれば終わってしまいます。清心女子での長いSSH実践、南九州大学でのオープンラボ、そして山脇学園での有尾類研究所へと進んできた流れを見ると、優れた実践をすることだけではなく、その実践が個人を超えて残る構造をつくることが課題になってきました。
だから研究所には、研究設備だけでなく、規程、委員会、記録、大学との協定、人のネットワーク、研究テーマの蓄積、飼育系統、研究文化が必要になります。つまり、有尾類研究所は、教育実践の制度化の試みなのです。
11.しかし、制度化することが目的ではない
ただし、私は「制度を強くすれば教育がよくなる」と単純に考えていません。制度は目的ではありません。問いを守るために制度があるのです。生命を守るために倫理制度がある。研究を継承するために研究所がある。人と人をつなぐためにハブがある。つまり、制度は自由を支えるために存在する。「観察から制度へ、そして自由へ」という流れが成立します。
12.「ハブ型オープンラボ」を一つの構造として整理すると
この構想を圧縮すると、次の七つの原理にまとめられると思います。
① 問いの原理――研究テーマを与えるのではなく、観察と体験から問いが生まれる環境をつくる。
② 開放の原理――学校内で完結させず、大学、他校、地域、海外へ研究を開く。
③ 関係の原理――教師、生徒、研究者を固定した上下関係に置かず、問いに応じて役割を変える。
④ 継続の原理――卒業や教員異動によって研究が消えないよう、記録、設備、系統、ネットワークを蓄積する。
⑤ 倫理の原理――生命を扱う研究では、知る自由と生命への責任を同時に学ぶ。
⑥ 非成果主義の原理――受賞や成功だけでなく、試行錯誤、失敗、継続、問いの深化を研究の価値として認める。
⑦ 自由の原理――最終目的は優秀な研究者をつくることではなく、自分自身の問いによって世界と関係できる人間を育てる。
この七つが相互につながっているのが、ハブ型オープンラボ教育です。
13.したがって「ハブ型」と「オープンラボ」は別々の意味を持つ
"オープンラボ"は「研究環境を開く」という意味です。設備を開く。研究者を開く。学校を開く。研究テーマを開く。
それに対して、"ハブ型"は「関係をつくる」という意味です。人と人をつなぐ。学校と大学をつなぐ。研究と社会をつなぐ。過去の研究と次の世代をつなぐ。
したがって、オープンラボ=開放、ハブ=接続と整理できます。この二つが合わさることによって、「開かれた研究空間の中で、人と知識と問いがつながり続ける教育システム」になります。
14.SSHとの関係
この意味では、ハブ型オープンラボはSSHの一つの発展形でもあります。SSHの大きな功績は、高校に「研究」を持ち込んだことです。しかしSSHが長く続くほど、「SSH担当者だけの活動になる」、「特定の教員がいなくなると続かない」、「発表会やコンテストが目的になる」、「研究が授業の一単元になる」という問題も起こり得ます。
有尾類研究所でのこういく実践の試みは、SSHをイベントや教育課程として終わらせず、学校そのものの構造へ埋め込むことだと考えています。
そのため、課題研究、研究施設、大学連携、倫理審査、フィールドワーク、海外研修、研究交流、高校生両生類サミット、他校支援が別々の活動ではなく、一つのシステムになります。これが「ハブ」の意味です。
15.さらに重要なのは、「自校の生徒だけを育てる教育」から出ること
通常の学校教育は、自校の生徒を教育するために行われます。しかしハブ型オープンラボになると、境界が変わります。他校の高校生が研究相談に来る。他校と合同調査する。高校生両生類サミットを開催する。大学研究者が高校に来る。研究所側が地域へ出て共同調査する。すると、「誰がこの学校の生徒か」という境界の意味が弱くなります。教育の単位が「学校」から、「問いを共有する共同体」へ変わっていく教育が必要になっている。これまで教育実践を経て到達した私の学校観です。
16.最終的には「研究所を残す」こと以上の思想
研究室が残っても、「問いを持つ生徒がいない」、「外部とつながらない」、「教師が答えを与える」、「成果だけで評価する」、「失敗を許さない」のであれば、それはハブ型オープンラボではありません。逆に、研究所という名称がなくても、「生徒の問いを大切にし、必要な人につなぎ、学校外へ開き、時間をかけて研究を続け、生命への責任を考え、失敗を許し、成果ではなく問いの深化を評価する、という文化が残れば、ハブ型オープンラボの思想は生き続けます。わたしが遺言として残したいのは、研究所という設備ではなく、「問いを消さない文化」です。
最後に――ハブ型オープンラボ教育の核心
これまでの約50年間の教育実践を一つの流れとして読むなら、清心女子で始まった生命教育や自然体験が「問いを生む教育」であり、SSH・生命科学コースが「問いを研究へ変える教育」であり、南九州大学のオープンラボが「学校の外とつながる研究教育」であり、山脇有尾類研究所はそれらを統合して、「問いを継続し、継承し、社会へ開くための制度」にしたものだと考えられます。
そして、その先にあるのが自由です。
ハブ型オープンラボ教育とは、観察と体験から生まれた一人ひとりの問いを、学校の内部に閉じ込めることなく、人・研究機関・地域・社会へと接続し、研究倫理と継続可能な制度によって支えることで、生徒が他者から与えられた答えではなく、自らの問いによって世界と関係することを可能にする教育である。
その意味で、有尾類研究所は私の研究人生の「成果物」というよりも、授業「生命」、森林実習、海外研修、SSH、生命科学コース、MSEC、大学オープンラボなどを通して長年考え続けてきた教育観が、初めて一つの制度として形を持ったものなのではないかと考えている。観察から問いへ。問いから研究へ。研究から関係へ。関係から制度へ。そして制度によって、自由へ。を大切にしてきた。













