1.問題意識と着想
漫画でアニメや映画にもなっている『チェンソーマン』の物語の中で語られる「田舎のネズミと都会のネズミ」の話が気になり、その内容を哲学的に解釈してみた。
この寓話は、マキマが主人公デンジに語ったものである。
2.寓話の内容
田舎のネズミは安全だが退屈な生活をしている。
都会のネズミは危険だが、美味しいものや刺激に満ちた生活をしている。
――あなたはどちらになりたい?
3.表面的な選択肢の構造
この寓話は、田舎のネズミ(安全・平凡・抑圧されているが長生きできる)か、都会のネズミ(危険・刺激的・自由だが死にやすい)か、どちらを選ぶかという二項対立として提示されている。
4.この問いの本質
しかしこの話は、デンジがどちらを選ぶかを純粋に考えさせる問いではない。「都会のネズミ」を肯定的に語ることによって、「都会のネズミ」を選ばせるための問い、すなわち〈誘い〉である。
この話における「都会」とは、マキマが完全に管理している世界を意味する。一見、自由を選んだように見えても、都会のネズミを選ぶことは、マキマの支配下に入ることを意味している。
5.マキマの支配の本質
マキマは「支配の悪魔」であり、彼女の支配は、暴力でも命令でもなく、欲望を操作することによって成立している。「安全よりも刺激がいいよね?」、「自由なほうが幸せだよね?」。こうした問いかけによって、相手に「自分で選んだ」と思わせる。これこそが、最も強力な支配の形である。
6.デンジの背景と自由の歪み
デンジは、マキマに出会う以前、貧困の中で無教育のまま生き、これまで自分で選択するという経験をほとんど持たなかった人間である。マキマは彼にとって、初めて「食事」「仕事」「目的」、そして「選択」を与えた存在であった。しかし、その自由は、「より強い刺激を与えてくれる者に従うこと」によって得られるものとして定義されていた。この自由観を受け入れた時点で、デンジの人生の主導権は、すでにマキマに奪われていたのである。
7.スピノザ的視点からの解釈
スピノザの視点でこの構図を哲学的に読むと、その本質は非常に明確になる。スピノザによれば、欲望(conatus)は人間の本質である。しかし、多くの人間は、自分の欲望がどこから生じているのか、その原因を知らない。マキマの支配は、デンジの欲望そのものを「作り出す」ことによって、それを「本人の自由な選択」だと思わせる点にある。
これは、スピノザが言う「自由だと思い込んでいる隷属状態」そのものにほかならない。
8.スピノザにおける自由の定義
学んでいるスピノザの自由の概念は、現代に生きる私たちにも重要な示唆を与えてくれる。スピノザは、自由の対立語は「必然」ではなく「隷属」としている。「自由である」とは、行為の原因が自分自身の本性にあり、理性によって感情を理解し、それを扱える状態を指す。
9.一般的な自由観との違い
スピノザの考える自由(libertas)は、私たちが日常的にイメージする「好き勝手に選べる自由」、「制約のない自由」とは根本的に異なる。スピノザは、欲望(conatus)こそが人間の本質であると明言する一方で、問題なのは「無自覚な欲望に支配されること」だと指摘している。外的刺激に反射的に動かされるのではなく、必然性の中にあっても、人は自由でありうるという考えである。
10.結論
結論から言えば、「自由にする」とは、必然性を理解したうえで、自分自身の本性(本質)に従って行為することである。















