V・E・フランクルの『それでも人生にイエスと言う』(春秋社)のp132より
当時私がいた棟で最年長だった人が私に話してくれた。・・・
彼は、奇妙な夢を見たというのです。「2月の中頃、夢の中で、私に話しかける声が聞こえて、なにか願いごとをいってみろ、知りたいことを聞いてみろ、ていうんだ。答えてやれる、未来を予言できる、ていうんだ。そこで、私は聞いたんだ。私にとっていつ戦争が終わるんだって。わかるかい。私にとってというのは、アメリカの部隊がやってきて私たちを解放してくれるのはいつかということだ」。「それで、その声はなんと答えたんですか」。彼は身をかがめて私の耳に囗をつけ、意味ありげにささやきました。「三月三十日、だよ」。
3月の中頃、私は発疹チフスになって衛生室に入れられました。4月1日にそこを出て自分の棟に戻りました。棟の最年長者だったその人はどこにいるのかとたずねました。そこで私は知ったのです。3月の終わりごろ、夢の声が予言した期日がどんどん近づいてきたのに、戦況はその声が正しかったとは思われないようなようすでした。その人はどんどん元気を失っていきました。3月29日、彼は高熱を出しました。3月30日、戦争が「彼にとって」終わるはずだったその日に、意識を失いました。そして、3月31日に彼は亡くなったのです。発疹チフスで亡くなったのです。
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人は心の病気になる。心の支えが必要である。強制収容所で絶望的な生活の中で、最年長だった人が、夢の中で「アメリカの部隊がきて、3月31日に自分たちを解放してくれる」という夢を希望にして日々を過ごしていた。ところが実際に三月三十日がになっても、解放されることはなかった。解放されるという希望を支えに生きてきて、その希望を完全に失ったときに人は絶望する。
そして、その翌日亡くなっていました。人の心は支えを失ったときにもろく、身体までも蝕ばまれる。今の社会でも、家庭や職場、学校で心の支えを失って、自分の存在の意味を見出せなくなったときに人は絶望する。逆にいうと、私は、家庭も、職場も、学校も、生きる意味を見出せる場所であって欲しいと願います。