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いじめの構造

2020年7月25日

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 人間社会においては、どんな集団においても、排除行動や制裁行動がなくならないのは、そこに何かしらの必要性や快感があるからだといわれている。
 本気でいじめを防止しようと考えるのであれば、「いじめが止まないのは、いじめが『やめられないほど楽しい』ものだからなのではないか」という、考えたくもないような可能性を、あえて吟味してみる必要がある。
 例えば、子どものいじめを回避するためには、「相手の気持ちを考える」「相手の立場になって考える」といった指導では不十分であったことは、私が指摘するまでもない。
 いくら「相手の気持ちを考えましょう」と教え諭したところで、子どもの脳は「共感」の機能が未発達であるから、「共感」の機能をじっくり育てていくことしかないが、それではいじめを早急に回避したい場合には間に合わない。 
 子ども時代は、「誰かをいじめると楽しい」という脳内麻薬に対して、共感というブレーキは働かないため、これを止めるには「自分が相手を攻撃すると自分が損をする」というシステムが必要となる。しかし、現状の学校現場では、誰も見ていないところで相手を攻撃すれば自分が損をすることはない。つまり、「賢く相手を攻撃したもの勝ち」という構造ができあがってしまっているのだ。

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