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ルソーの「一般意志」から

2017年6月10日

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100分de名著『エミール』より
法の正当性の根源は「一般意志」であって、多数の賛成がそのまま正当であることを意味しない、というところです。もちろんいろいろと話し合った結果、一つに結論がまとまらないことも当然あるわけで、そのときは最終的に多数決で決めるしかありません。ただし多数決というのは、あくまでも「決めるための方法」でしかないのです。ぼくなりにこの考え方を敷衍してみると、こんなこともいえそうです。ある法について、それは一部の人たちを苦しめるものであって「一般意志」に反する悪法であると考える人がいるかもしれません。その場合には、「とりあえず多数決で決まったその法には従うけれど、それは一般意志ではないと私は考える」と主張を続けて、それに同意する人が増えていけば法が変わることもありうる、ということにもなるでしょう。
 これはまた、「一般意志」と「全体意志」とは違うということも意味します。すべての「個別意志」を集計した結果である「全体意志」(これもルソーの言葉です)は、しばしば少数派を犠牲にした多数派の意志になりがちです。多数派工作をしたり党派的利害を押し出したりして、一部の人たちの利益をみんなの利益であり「一般意志」であると称して法にしてしまうことが起こりうる。これは、まさしく民主主義の根本問題です。

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