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「より優れたい」と思うのは、人間の普遍的な欲求である

2017年2月12日

「人は常に自分のためになること(善)を追求して生きている」という話をしました。問題は何が自分にとって善であるかという判断を誤ることがあるということです。それでも、私たちは善を追求していますし、今よりも優れた存在になりたいと思いながら日々を生きています。アドラーはこれを「優越性の追求」と呼びました。
 では、なぜ私たちは優越性を追求せずにはいられないのでしょうか。それは、人間は誰もが無力感を持ってこの世に生まれてくるからです。生まれてすぐの赤ん坊は一人で立ち上がることも、話すこともできません。親や他者の協力がなければ片時も生き延びていくことはできません。牛や馬などほとんどの動物の子どもが生まれてすぐに歩き始めることを考えると、いかに人間が弱くて無力なのかがわかります。無力な存在としてこの世に生を受けたからこそ、人間は何とかしてその状態から抜け出したいと願うのです。
 アドラーは、このような優越性の追求を人間の普遍的な欲求と考え、次のようにいっています。

 すべての人を動機づけ、われわれがわれわれの文化へなすあらゆる貢献の源泉は、優越性の追求である。人間の生活の全体は、この活動の太い線に沿って、即ち、下から上へ、マイナスからプラスへ、敗北から勝利へと進行する。(第三章 劣等コンプレックスと優越コンプレックス「優越性の目標」)
(岸見一郎『NHK100分で名著・人生の意味の心理学・アドラー』より抜粋)

「優越性」に対して、真の意味での「劣等感」は、他者との比較して生ずるものではなく、「理想の自分と現実の自分との比較」から生じるものであり、その気持ちがあるから改善して、より前に進もうとすると説明されています。
教員もより素晴らしい授業を求めて、自分を磨いていくのであり、努力の源泉は「劣等感」なのです。「劣等感」が強すぎて、コンプレックスに陥ると大変ですが・・・。

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