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映画「世界から猫が消えたら」を鑑賞しました。

2016年5月19日

映画「世界から猫が消えたら」を見に映画館に行った。

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郵便配達員をしている主人公(彼)が自転車に乗っていて、突然視野がかすみ転倒。検査の結果、脳腫瘍で死が近いことを宣告される。彼が自宅に帰ると、自分そっくりの悪魔が部屋にいて、「この世界から何かを消せば、その一つのものの代わりに1日だけ延寿命を延ばすことができる」と伝える。
悪魔が1日の寿命と引き換えに消すものに最初に指定したのは「電話」だった。消すものは最後に一度だけ使うことができる。電話をした相手は別れた初恋の彼女だった。彼女に自分の寿命が長くないことを伝えると、僕の嫌いなところについて語ってくれた。次に消すものに指定されたのは「映画」だった。映画オタクのツタヤが最後に見る映画として選んだのはチャップリンの「ライムライト」であった。
「人生は近くで見ると悲劇だけれど、遠くで見ると喜劇だ」。帰り際、寿命のことを伝えるとツタヤは泣きながら見送ってくれた。
次に、世界から「時計」が消えた。父は時計店を営んでおり、時計の仕事に一途であった。亡くなった母は折り合いの悪かった父と子の関係を仲直りさせようとしていた。
最後に消すものに指定されたのは「猫」であった。彼が今一緒に暮らしている猫のキャベツは2代目の猫だ。最初に拾ってきた1代目の猫の名前はレタス。レタスを母は随分可愛がっていた。レタスが死んだとき母は悲しみにくれていた。
母さんが息を引き取った日のことを思い出す。病室に父の姿はなかった。昔母さんに贈ったアンティークの時計が壊れたのを修理していた。僕には父が病室に来ないことが理解できなかった。
キャベツは容態が悪くなった母に父が拾ってきて無言で渡した猫だった。レタスもキャベツも彼にとって家族の一員だった・・・・。彼は「世界から猫は消せない」と判断し、延命することをやめることを決意した。

人間は失ったときに本当に大切なものが見えてくる。逆に、人間は「それがあるのが普通だ」と思ったときに、大切なものに気づかなくなっているのかもしれない。命、健康、友人・・・・「大切なもの」。
一人称でもなく、二人称でもなく、名前ではなく、主人公は「彼」だった。そして、彼の「彼女」が登場した。映画を観る自身が「彼」や「彼女」になって感じることのできる作品になるようにつくった作品のような気がした。

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