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「きびしさ」と「やさしさ」で人を育てること

2015年6月26日

「きびしさを語ろうとするなら、"きびしい"という形容詞を口にするな。聞きおわった相手が自分からきびしさを感じるように語れ。やさしさを伝えようとするなら、"やさしい"という形容詞を書くな。読みおわった相手が自然にやさしくなるように書け。」と言われたら、言われた人はどのように受け止めるだろう。確かに人に気持ちを伝えることはなかなか難しい。熟慮した結果を伝えてもなかなか理解してもらえないことも多い。あまりにも意思が通じないと孤立感で辛くなることもある。今の文章を読んでも、ひょっとしたら「私は日常的に「きびしさ」や「やさしさ」という形容詞を使っていないから関係ない」という人がいるかもしれない。

「教育の特質は、そのはたらきが限定されないことにある。限定できないことである。なんにもしないことも教育であるし、何をやっても教育である。」。学校教育の在りようを具体的に決めるのは、教師と生徒の関係であり、きびしさや優しさが伝わる関係が築けているかどうかが重要ではないだろうか。18歳で選挙権を国が与えるということは、高校を卒業する段階で一人の大人としてきちんと自分のこるべき行動を選べるように成長してもらわないといけない。学校教育の役割は大きくなっている。

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