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科学研究者を志す高校生へ

2013年11月13日

 高校生にとって、研究者の道を選ぶことはどうなのだろうか。あなたが理工系学部に進学すると、大学を卒業する頃、「学んだ分野の知識を生かしたいなら、修士課程に進む方がいいけど、博士課程に進学してもなかなかパーマネントの就職はないよ」とアドバイスをする先輩は多いと思う。そして、就職を中心に考えて、それに直結しないことは無駄だと考える社会では、絶えず「そんなことやって何になるの」という言葉を耳元で囁かれ、「損か得か(利益)」、「楽かどうか(負担)」という座標で、人生は選ぶものだというアドバイスが与えられる。「自分の好きなことをやれ」というアドバイスは、進路選択の段階でかき消される。スポーツを楽しむのはいいことだが、プロの職業としてなりたたないのでやるものではないというのに似ている。成功するのはごく少者で、過度なスポーツは健康を害することがあるし、身体的な障害で一生背負わざるを得ない状況すらあるからである。合理的に考えるとスポーツを職業とするものではなく、また、科学者への道も選ぶべきではないということになる。
 私自身はどうだったのか。高校生の時に、湯川秀樹の「旅人」を文庫本で読んで、研究者の道を夢見たが、いつの間にか自活できる職業として教員を志し、大学院に進学することなく、理科の教員として過ごしてきた。30歳を過ぎてから、サンショウウオやイモリに出会い、野山を走り回るなかで、その生態に興味を持ち、探究心をもつことの楽しさに目覚めた。そして、もう一度きちんと勉強したいということで、43歳で修士課程、52歳で博士課程で学んだ。この年になって博士号を所得しても新たな就職先がみつかるわけでもない。家族には、大学院に入学したときに「子どもに学費を払うのは理解できるけど、お父さんの学費が必要だとういうのは納得できない」と言われただけで、決して歓迎されたわけではない。合理的に考れば、家族にとっては無駄な経済的な負担を強いられただけなのだ。
50歳を超えても駆け出しの研究者にしかすぎない。馬に例えるなら、“サラブレッド”ではなく、“駄馬”である。今も大きな荷物を背負って田舎道を半月板を痛めて不自由になった足で歩んでいるというのが現状である。こんな人間だから、いままで過ごしてきた年月を振り返って、生甲斐を感じることのできる生き方を選んで欲しいと思うのだ。人間は生まれ方と死に方は選べないが、自分の生き方は選べるのだ。そのことをいつの間にか忘れてしまうような世の中になっているのかもしれない。

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