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2009年度 授業「生命」 第2回

2009年4月21日

 NHKようこそ先輩の「国境なき医師団・貫戸朋子」を題材にした。前回、ポスターの解釈や課題文を使ったグループ討論で、人にはいろいろな考え方があることを実感してもらった。今回の教材は、戦争での国境なき医師団の医師の発問に対して、小学生が話し合うという内容で、現在高校2年生に生でなった段階で自分たちはどのように考えるのか・・・・ということがテーマであった。

質問1 酸素ボンベを切るか、切らないか
 わたしが国境なき医師団の一員として派遣された現地の診療所で働いていました。緊急の患者さんが来ました。お母さんに連れられた五歳の男の子でした。診たら、はあーはぁーはぁ一ってすごく苦しそうな息をしてるんですよね。目は白目むいてね、目がとんぶり上がって天井を向いているわけですよ。それで、はあーはあーはあ一ってやっている。これはもう助からないと、わたしは確信しました。この子はもうは何をやっても今の状態では助からない。そのとき手伝ってくれていた看護婦さんが酸素マスクをその子につけてあげても、ただ、はぁーはぁーやるだけで顔色もよくならないし、楽にもならない。それでわたしは、どうしようかと思った。これはもう酸素を切ろうか、と。
 そのとき、酸素ボンベは一本しか残っていなかったんです。その一本が最後で、この次ここに、いつ酸素ボンべをもらえるかわからない。ひょっとしたら何か月も来ないかもしれない。けれども、これから酸素ボンベを必要とする人が来て、その人はその酸素ボンベで助かるかもしれない。手術をしなくちゃいけない人、また、生まれたばかりの赤ちゃんには、ちょっと酸素をあげると泣きだして元気になるってことはいっぱいあるんです。だからわたしは、ああ、これは酸素をとっておきたい、と思ったわけです。
 しかし、いっしょに働いていた看護婦さんが (首を振りながら)酸素を切ってはダメダメというジェスチャーをしていました。それでわたしは、もう切ろう、もう切ろうと思いながらも、すぐ切るのはやめて、五秒数える問待って、それでも変わらなかったので切ったわけです。
 君たちならどうするか。そんなことしていいのかどうか。ひょっとしたら助かったかもしれない……。助からないと判断したのはわたしで、それが正しかったか正しくなかったかという証明はありません。わたしの判断ではもう絶対助からないと思ったから切ったのです。けれど、それに対しておかしいという考え方もあるし、そのあとわたしの中で良かったのか悪かったのか結論が出なかったので、みんなに考えてほしいんです。酸素をあげるべきだったのか、切ってよかったのか、考えてください。

質問2 貫戸朋子の生き方は得か、損か。

質問3 自分なら医師として戦場に行くか。行かないか。

【生徒の感想】
 「国境のない医師団」については今まで名前しか知らなかったが、その内容についていろいろと知ることが出来た。しかも、ただ仕事について言うのではなく、実際に医師団の一人として活躍している方が話すという形だったので、心情を知ることも出来てよかった。医師団たちについて、特に驚いたのは医師たちに給料がないこと。どうやって生活を成り立たせているのか気になった。また、給料がないからこそ、純粋に「人の命を救いたい」という医師を集めることが出来るのかな、と思った。
 この仕事は、体力的にだけでなく、精神的にも強くなければやれない仕事であることを知った。他の多くを助けるために、目の前の患者の死んでゆくのを見ていなければならないことなど、自分の意見への自信や、命が亡くなるのを何もせずに見るという覚悟がなければならないと思ったからだ。「国境のない医師団」は現代の人が持つべき力を全て持っている人々が集まるところだと思う。なぜなら、まず、「国境のない」ので英語は必要不可決である。次に、いつ患者が運び込まれるとも知れないのだから、体力が必要である。その他にも、判断力や、道具がなかった時にいかに対応するのかなどが求められているはずだ。そんな自分の持っている能力を惜しみなく発揮できる「国境なき医師団」こそ、究極のボランティアと言うべき物であると思うし、また、その中で働いている貫戸さんは社会の中で働く女性の理想の姿であると思った。
 貫戸さんの酸素マスクの話を聞いて、戦場とは、孤独な場所なのだなと思った。自分は誰からも叱責されないがそのかわり、自分の判断で物事を進めていかなければならない。しかも、扱っているのは人の命である。失敗は許されないのに頼る人も道具もほとんどない。しかし、そういう場こそ、命の重さを最も身近に感じることが出来るのであると思う。 

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