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茨木のり子・詩集「倚りかからず」から

2008年4月15日

マザー・テレサの瞳

マザー・テレサの瞳は
時に
猛禽類のように鋭く怖いようだった
マザー・テレサの瞳は
時に
やさしさの極北を示してもいた
二つの異なるものが融けあって
妖しい光を湛えていた
静かなる狂とでも呼びたいもの
静かなる狂なくして
インドでの徒労に近い献身が果たせただろうか
マザー・テレサの瞳は
クリスチャンでもない私のどこかに棲みついて
じっとこちらを凝視したり
またたいたりして
中途半端なやさしさを撃ってくる!

鷹の目は見抜いた日本は貧しい国であると
慈悲の眼は救いあげた
垢だらけの瀕死の病人を
・・・なぜこんなことをしてくれるのですか
・・・あなたを愛しているからですよ
愛しているという一語の錨のような重たさ
自分を無にするこたができれば
かくも豊饒なものを溢れさせることができるのか
こちらは逆立ちしてもできっこないので
呆然となる

たった二枚のサリーを洗いつつ
取っかえ引っかえ着て
顔には深い皺を刻み
背丈は縮んでしまったけれど
八十六歳の老女はまたなく美しかった
二十世紀の逆流を生き抜いた生涯

外科手術の必要な者に
ただ繃帯を巻いて歩いただけと批判する人は
知らないのだ
瀕死の病人をひたすら撫でさするだけの
慰藉の意味を
死にゆくひとのかたわらにただ寄り添って
手を握り続けることの意味を

・・・言葉が多すぎます。
といって一九九七年
その人は去った

 本屋に立ち寄って、茨木のり子の「倚りかからず」という詩集を買いました。その詩集に上の詩がありました。マザー・テレサのことは、偉人として知っている人は多いでしょう。特に、キリスト教の信者の人には、わかりきっている・・とか言われそうですが、本当に、彼女がなぜ素晴らしいのか、もう一度考えて欲しいと思います。「周りの病人を救うだけでは、社会はよくならない」という政策的な人もいたでしょう。確かに、死にそうな人を救い続けるより、力のある政治家や国王を動かす方が効果的でしょうし、どうせ病人の看護なら、最新の医療を駆使することが効果的でしょう。ところが、彼女がとった行為は、「汝の隣人を愛せよ」の実践をコツコツと一生涯、続けたことにあります。そのことが、逆に社会に大きな愛のメッセージを送ることになったのです。このことは、一筋に生きることの素晴らしさを教えてくれます。また、彼女が死の淵に直面した病人から大きな喜びを得たと感謝の言葉を述べていますが、それはなぜでしょうか。考えてみてください。僕は、心がしっかりとつながっているという気持ちに、生きる喜びや力を得たのではないかと思っています。信仰者は、自分を見つめるために信仰生活に入っているわけですから、物欲や支配欲に支配されている一般の人々より、本当の精神的な生きる喜びや悟りの気持ちに到達することができるような気がします。しかしながら、現代社会には、信仰生活を守りにくい周囲の状況があり、そのために頑なに民主化に向かう社会の流れを排斥したり、逆に資本主義社会の流れに飲み込まれてしまったりしやすいのも事実でしょう。
 あなたが信仰者なら、キリストがどんな生き方を選んだか、原点にかえって考えてみてください。マザー・テレサが感じているように心がしっかりつながったと実感できる生活ができてますか。自分の心の底からの声に耳を傾けてはどうでしょうか。
 僕自身も50歳を超え、どのように生きるかを再点検しています。人と比べて自分の価値をはかるのではなく、本当の意味で生きがいとは何なのか。一生、真理を追究する姿勢は守っていきたいと考えています。

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