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校歌を作詞した永瀬清子の言葉

2006年5月 3日

※ 1985年5月3日(79歳)の憲法記念日に岡山県民のつどいでなされた講演の一部です。

 戦後は一人前の参政権も獲られ、女性は強くなったと云われています。しかし一票をもらって嬉しいのは一票のなかった事と比べるから勿論嬉しいのですが、しかしその一票をもらってしまってからは、問題は別に新しくなるのです。つまりいかにその一票をよく行使するか、ということに問題は移り変わってきて、それが目の前にそば立ってくるのです。つまり、ただ貰っただけでは、女は内容的に強くなってはいないのです。「うちの従兄の嫁の○○へよろしく」だとか、「これこれのおかげがあるからあの党へ」とか、つまらぬ理屈で投票するのだったら一票を獲得したすっかり消し飛んでしまいます。女の人が強くなったと云っても、靴下ぐらいでいいか、です。男女同権になってよろこぶ事は、男女同権でなかった時からみて、勿論嬉しいのですが、女がどう強くなったか、どう利口になったかの内容は、それから以後の大きな「新しい問題」なんですよ。

 我々は女が強くなって離婚数が多くなったことを喜ぶのですか。
 教育ママが子供を支配しだしたことを喜ぶのですか。
 旦那よりよけいおしゃべりすることを喜ぶのですか。
 我々はいつも一歩高くなったら一歩新しい問題に直面していることを知らねばならないのですよ。「戦争は嫌やだ」と思う心は戦後の人は誰でも持っていますが、そのいざという時、みんなでちゃんとその心を発表できるかどうか、そこはまだ判りません。今、反戦の署名をしていても、次第に法律が変わってきたり、情勢が変わってきたら、みんなビビってしまうかもしれない。その時こそ我々の憲法は何よりの力綱なのです。
 民主主義というのは、自分の心を自分でちゃんと知ること、それが第一で、また、それをはっきり表現できることだと思うのです。
 第二には相手の心がわかること。
 第三に、共に協力し進歩していくこと。
 この3つが揃ってはじめて本当の民主主義なのではないかと思います。田舎で暮らしているとき、時々民主主義とは何かきかれ、また私もそれがどうしたものであるかを確かめようと思いましたが、人にきくと言下に「それは基本的人権の尊重です」と答えがかえってきます。「基本的人権の尊重」なんて、それはどうしたことをすればいいのか、日常的には又さっぱりわかりません。しかし繰り返し自分の過ぎ越し方を振り返って考えたり、しようとして来たことを考えると、私はそれを求めようとして来たのではなかったか。そして結局以上のような三つの項目につづめてみたのです。そして民主主義、民主主義と蝉が鳴くように云っても、そこが十分覚悟できないと何にもならないのではないかと考えました。これらは私らが進んできた中でもまた新しい課題であって、一人一人がやはり取り組まなければならない問いなのです。自分自身の思いを確かめあい、その上にも相手の人、特にみじめな人の思いも汲み取れる人、そしてその人々とも一緒に全体が一階段ずつ進んでいけるとしたら、これこそ本当の民主主義ではないでしょうか。決して人権を得たからこれですんだと いうものではなく、平等になったからそれでいいというものでもなく、常に新しい問題について求め考えていくものではないでしょうか。歴史はそれを示してはいないでしょうか。

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