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昨日の新聞記事「五輪を語る(2)」より

1998年1月17日

1972年札幌オリンピックでは、アマチュアリズムを厳守する立場で運営されていた。そのとき、スキーメーカーの広告にでて、カール・シュランツはアマチュア規定違反で選手資格を剥奪された。

彼は言う。「みんな同じことをしていた。私一人が見せしめになっていたのだ。私を犠牲にして守ったはずのアマチュアリズムは、しかし今は跡形もないじゃないか」、1974年、五輪憲章から「アマチュア」の文字が消えた。1980年就任のサマランチ会長は五輪にスポンサーなど商業主義を取り入れ、今やプロ選手が五輪に出ている。また、彼は言う。「サマランチ会長は、IOCが大きな会社だと気がついた人。活動を続けるには、ビジネスでの成功は欠かせない。それに伴う悪影響は、そのつど話し合って解決すればすむことだ」・・札幌から26年がたった。今年は、長野オリンピック。この話は、教育にもメッセージを送っているような気がする。オリンピックが、ビジネスを無視できなくなったように、教育もコンピュータという現代社会の産物を無視できなくなった。単に、商業主義に流されることがないよう、利用の仕方を考えなければならない。

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