JICA国際協力に関するエッセイコンテスト

主催:独立行政法人国際協力機構(JICA)
テーマ:世界と日本の幸せのために-私がしたいこと,すべきこと-(原稿用紙4枚)
※さまざまな出会い、友だちとの会話や学校の授業、本や新聞、テレビを通して感じたこと、自分自身の体験から知ったことなど、自由な題材であなたの想いを伝えてください。

〇私が国際協力をしていると感じたときは学校行事のなかに二つあります。ひとつは、キリスト教精神に基づく教育です。「宗教」の授業や聖ジュリーの日の活動です。「宗教」の授業はキリスト教倫理や聖書を学んだりします。そのなかで特に、東日本大震災の犠牲者に対するお祈りは一番印象に残っています。私は、今まで私にできることは何ひとつないと、中学の頃まで思っていました。何か大きなことをしなければならないと思っていましたが、こんなに身近で小さなことでいいんだと気づきました。

〇まず始めに、日本との空気の違いに感動しました。緑豊かなオーストラリアは、本当に空気がきれいで空も青く、すごく晴れやかな気持ちになったのを今でも覚えています。(中略)本当にこんな貴重な体験をさせてくれたホストファミリーには感謝してもしきれません。ずっと日本で生活していた私にとって、異文化を体験するということは、その国とのつながりが出てきたのではないかと思っています。また、私の通ったオーストラリアの学校で友だちになった台湾の人とも連絡先を交換して、さまざまな国の人たちとつながりを持てることはとても嬉しいことでした。研修旅行を終えて、私たちが住んでいる日本というものを考える機会にもなったし、自分自身を見直すこともできました。

〇みなさんは生物に優しいでしょうか。生物に優しいとはどういうことでしょうか。私は生物に優しいとは、生物にとって住みやすい環境を作ることだと考えました。その環境を作るのは私たち人間なのです。今の環境は住みやすいとは言えません。(中略)私はこれまでにたくさんの生物に関する本を読んできました。生物の絶滅をテーマにした本も何冊か読んだことがあります。そこにはどれも地球温暖化との関係が書かれています。地球温暖化は一層悪い方向へと進んでいますが、それを生み出したのも人間です。しかし、地球温暖化を止めるには、私ひとりの力ではどうにもなりません。世界中の人たちが協力して頑張るしかないのです。

〇私は、2週間のホームステイを経験して日本との違いを数多く知ることができました。例えばテレビをあまり見ないこと。テレビを見る習慣が日本より少ないホストファミリーの家では、一日一日がゆっくりに感じました。テレビを見ないで人とのコミュニケーションを大切にしているのかなと思います。日本人はいつでもテレビをつけっぱなして、見ていなくても消そうとしません。たまにはテレビを見るという習慣から少し離れるだけでも貴重な経験だとホームステイをして思いました。(中略)初めての海外は不安で不安でしかたありませんでした。自分と世界のつながりは全くないと思っていました。しかし、自分と世界のつながりについて改めて考え直すきっかけになったと思います。もっと広い世界に目を向け、世界のことをより深く考えるべきだと思いました。ホームステイするために関わってくださったみなさんに心から感謝します。またホストファミリーに会えたらいいなと思います。

〇「募金」それはやることにとても意味があるものだと思う。ひとりひとりが協力をすることによって多くの人を救うことができる。私たちの学校では、チャイルド・ファンド・ジャパンというフィリピンの子どものために毎月ひとり百円の募金を行っている。フィリピンの子どもたちは、学校へ行って勉強したいが、今を生きるために一生懸命で、生活をするためにはお金がいる。自分と同じ年齢の子どもが働いていたりと、本当に厳しい中で暮らしている。そう思うと、「かわいそう」ということだけではなく、まず少しでも力になって救ってあげたいという気持ちの方が強く感じられる。そのひとつの手段として「募金」というものがあるのだ。中学1年のときからこの募金をしているが、正直最初はなぜこの募金をしなければならないのか、毎月募金をするたびにこのようなことを思っていた。しかし、募金を重ねていくたびに、どれほど素晴らしいことかやっと理解できた。一日三食おいしいご飯を食べ、学校へ行き、お風呂に入って寝るという、ごく普通の生活があたり前のように思っていたが、世界にはご飯を食べることもままならない国もたくさんあるのが現実だ。日本という国は本当に平和で幸せだ。「幸せ」とはいったい何だろう。きっとご飯を食べたり学校に行ったりするという当たり前のことが本当の幸せなのだと思う。世界のみんなが支え合って平和な世界に一歩でも近づけたらいいと思う。

〇一番心に残っているのは「聖ジュリーの日」のことです。中学2年の時に旭川荘を訪れました。私は障害者の方と関わったことはそれまで一度もありませんでした。旭川荘を掃除したり、チームになって風船を作って遊んだりしました。今になって考えてみると、自己紹介のときにもっと積極的にすればよかったと感じています。また、今年は手話を教えてもらい、ある程度はできるようになりました。私の周りには目が見えない人はいないと思っていましたが、私が気がついていなかっただけで、本当はすれ違っていたのではないかと今では思います。クリスマス会では、中1でステンドグラスを、中2でタブローを、中3でキャンドルサービスをしました。どれもひとりではできません。協力することを学びました。聖ジュリーの日は、人とのつながりを広げてくれる行事だと思いました。

〇私は今年の夏休み、タイのサムイ島へ行った。ある日、夜の10時ころに母と街を歩いていると、6歳くらいの女の子がひとりで、しかも裸足で花飾りを売り歩いていた。衝撃的だった。彼女は観光客に近寄り「花飾りはいりませんか」と歩き回っていた。私のところにも来たが、私は何も言えなかった。他の日にも、また違う女の子が花飾りを売ったり、足の不自由な男の人が道に座ってお金を入れてもらうためのコップを持っていた。私は、そのような人々の姿を直接目にして、とてもつらくなった。私たちは自分たちのことだけでなく、もっと他の国の現状を知り、そのことについて考えていかなければならないと感じた。今、私たちの時代は国際社会になっている。ネットを通じてさまざまな国と交流することも可能だ。自分が体験していないことを体験し、異文化をお互いに理解することが今の社会で求められているひとつだと思う。

〇グローバル化の国際協力、国際理解と、さまざまな場面でこのような言葉を耳にするようになった。私は今まで世界というものについて考えるきっかけに二回出会った。ひとつめは私が小学校六年生の時の経験である。総合の時間に「世界がもしも百人の村だったら」というテレビ番組を見た。その番組では、幼いにも関わらず家族のために働かなければならない子どもたちや、貧しくて学校に行けない子どもたちを特集していた。私はそれを見たとき衝撃を受けた。フィリピンに住むある女の子は学校にも行くことができず、ゴミ山から金属を拾ってお金にし、生活のための費用としているのだ。私はそれを見て、ただただ唖然とした。その子は当時の私よりも随分幼かった。それにも関わらず、必死に働き懸命に生きようとしていた。私はその姿を見たとき、彼女の力になることをしたいと思った。しかし、それは難しいことで、自分が直接的に彼女を助けることは無理だということを知った。(中略)ふたつめは、この春からユネスコ・スクールの取り組みに参加するようになったことだ。違う国の人と直接的に関わる。これは世界に目を向けるということにおいて大切な第一歩になることだろう。育った環境も話す言葉も何もかも違う。そのような中でコミュニケーションをしっかりとり、分かち合わなければならないのだ。世界と深く関わって生きていく、これは今私の目標のひとつになっている。積極的に世界の人と関わって、たくさんのことを吸収して、国際社会で活躍したいと思う。

〇2週間のオーストラリアでのホームステイ。お別れの時のことをよく覚えています。ベッドの上にホストマザーが好きだと言った折り鶴と、メッセージカードを置いて記念撮影をして家を出ました。ホームステイは私にコミュニケーションの大切さと大変さを教えてくれた体験でした。帰国して食べたおにぎりと玉子焼きもおいしかったけど、今でも時々あのどうしようもなくハイカロリーな、ひとくちで満足できるようなミートパイを食べたくなります。もともとそのホームステイはニュージーランドで行われていました。クライストチャーチでの地震が理由です。以前はそこからの留学生を受け入れてホストファミリーになったこともありました。しかし、地震のあと連絡がとれなくなってしまい、家族で心配していました。その後しばらくして、無事であるという内容のハガキが届きました。幼くてあまり記憶がなかった私でも、本当にほっとしました。私たちはつながっているのだと感じました。人はきっとこんなふうに地球の隅々までつながっていくことができると思います。それはとても素敵なことです。

〇アメリカで4年間暮らしたことは、私にとって初めての異文化体験でした。そして、そのときに学んだことは私の価値観を大きく変えてくれました。私がアメリカの現地校に通い始めて最初に立ちはだかったのは言葉の壁でした。相手が何を言っているのかさっぱり理解できない。それは想像以上につらいものでした。通学初日は、もう自分はこのつらさに耐えてまで学校に通う必要はない、と感じたほどです。言葉の次に立ちはだかったのは、文化の壁でした。この壁は言葉とは違い、自分から受け入れなければならないものでした。英語を覚えたい、覚えたくないという考えは、この壁においては関係ありませんでした。文化は自分で違いを受け入れないと理解することができないものでした。私は最初このカルチャーショックに反発しました。今までとの違いが納得できず、相手に自分の考えを押しつけようとしたのです。相手を理解しようとしていないのに、相手に自分の考えが伝わるはずがない。このことに気づいてから、私はアメリカの文化を楽しめるようになりました。そして今は、自分が触れて感じた異文化の魅力を他の人に伝えることができれば、その人の人生を豊かにすること手伝いができるのではないかと考えています。たいしたことではないけれど、世界と日本をつなぐために自分にできることだと思います。

〇私が小・中学生の時、学校でペットボトルのキャップやアルミ缶のプルタブを集めていました。このようなゴミが何になるのだろうと最初は思っていましたが、それらが薬などになると知って驚きました。中学生になると、AMDA募金などもしていました。ひとりの力では全然足りないけれど、みんなで協力すると大きな力になるんだと改めて気づきました。清心女子高校に入学してネイティブの先生がたくさんいることにとてもびっくりしました。授業を受けたり、すれ違ったときに挨拶をしたりすることで世界とのつながりをとても感じることができました。普段つい忘れてしまいがちですが、今でも世界には貧しい生活をしている人がいます。同じ年齢なのに学校へ行けない人、働かないといけない人、食べ物がなくていつも空腹の人、病気なのに薬がないので治すことができない人がいます。世界のどこかで紛争が続いている国があります。日本のような豊かな国が排出する二酸化炭素のせいで地球温暖化が進み、海面が上昇することで全然関係のない国の人たちが苦しんでいるということをテレビで見たこともあります。このようなことに目を背けずに、いろんな理由で苦しんでいる人たちの立場になって自分のこととして考えることが大切です。世界が幸せになる日が少しでも早く近づくように、世界のために何ができるのか考えて行動したいです。

〇私は今、チャイルド・ファンド・ジャパンという活動に募金をしています。この活動は学校全体で行っており、クラスでひとりのフィリピンの子どもを支援します。私のクラスでは12歳の男の子を支援しています。そして、今年の春にチャイルド・ファンド・ジャパンの職員の方が来てくださり、私たちが支援している子どもたちがどのような生活をしているか、また募金が何に役立っているのかなどを具体的に教えてくださいました。子どもたちは皆、貧しい生活をしながらでも、学校へ行けることを感謝しながら生活していました。(中略)まずは、世界のことを知ることが大事だと思います。世界のことに無関心でいると何もできないと思います。これからも世界とのつながりを大切にして生きていきたいと思います。

〇近年日本社会の「国際化」ということがよく言われる。確かに海外市場には日本製品があふれ、日本でも欧米の製品を購入できる。毎年大勢の日本人が海外へ出かけ、日本を訪れる外国人も多い。外国人は日本社会に深く入り込んできている。しかし、日本人は無意識にであれ意識的にであれ、周囲に壁を作って彼らを受け入れまいとしているようだ。これでは国際社会の仲間入りをしているとは言えないような気がする。とは言うものの、文化やライフスタイルのグローバル化は確実に進んでいる。その中心がアメリカ的な大衆文化であるように思う。(中略)私は大学では英文科で学び、本格的に英語圏で生活して、文学を通して何か国際社会に貢献したいと思っている。しかし、英文学を勉強したいという目標を持っていながら、日本の文学について何も知らないのでは話にならない。これは文学に限ったことではなく、衣食住のすべての分野に当てはまることだ。外国人に対して、日本人として自信を持って話すことができるということは、グローバル社会において必要不可欠である。

〇私はインターキッズ(国際塾)という、さまざまな分野で活躍し、国際関係に携わる仕事をしている方々の講義を聞く会に参加しています。(中略)自分と世界とのつながりでは、中学3年生のときにオーストラリアへ研修に行きました。来年の春休みには生命科学コースの生徒が中心ですが、私たちにはボルネオ島へ研修に行く機会があります。ボルネオは自然が身近にある所だと思います。そこで、ボルネオ研修を通して自然との共存について学ぶことができたらいいなと思います。また、現地の大学で英語による講義を聞いたり、現地の住民の人々とも英語で会話ができるので、中学生のときより上達した英語力で現地の人と交流したいです。世界と日本の幸せのために私がすべきことは、世界を知ることだと思います。日本は平和な国で、何かにおびえて暮らすことはありません。しかし、他の国はどうでしょうか。もっと世界とのつがなりを持ち、世界で何が起きているかを知り、私にできること、すべきことを考えていきたいです。

〇私が国際協力に強い意志を持ち始めたのは中学3年生の頃だった。オーストラリアでのホームステイで、中国人の女の子に出会った。家族や友だちのこと、学校生活や趣味のことなどの話をした。話題は自分たちの国のことへと変わった。(中略)私は、彼女の話を聞いて、真の国際協力とは現在の国際関係だけを考えて行動するのではなく、過去を振り返ることで、視点を変えて現在を見つめ、これからを考えて行動することではないかと思った。でも、世界のことを知っているのに何も行動しないのは何も知らないことと同じだ。だから私は、ホームステイ先で知り合った中国人の女の子とメールで領土問題について話し合ったり、フィリピンの恵まれない子どもたちのために募金している。「小さなことから始めよう。」過去と現在を見つめながら、いつもとは違う視点で国際協力を考えたときにそう思った。

〇今日本は戦争がなく平和で安心しているが、実際に世界ではそうではなく、戦争をしている国がある。戦争から得るものは何もなく、ただ多くの人が命を落としている。戦争は人の心を傷つけるものでしかありません。以前、子どもたちが武器を持ち戦争に参加している姿を見ました。その時には目の前で起こっていることに理解できず、言葉を失いました。子どもたちはこのような生活しか知らないことに、私は衝撃を受けました。なぜ、そこまでして戦争を続けなければならないのだろうか。(中略)戦争以外にも、経済的に豊かな国が、貧しい国を支えることができれば、飢え苦しんでいる人や、自由に遊ぶことができない子どもたちを救うことができる。そしてそのような人たちを幸せに導いていくのが私たちの役割であると思う。

〇4年前の8月9日、静まりかえった長崎の地に、ゴーンゴーンと鐘の音がなり響き、私たちは黙祷を捧げた。言葉で言い表すことのできないくらい重く、苦しいあの空気を、私は一生忘れることなどないだろう。戦争を体験していない私たちにとって、戦争を感じるというのは難しいことだと思う。しかし、あの時私は戦争が人々に与えた影響の大きさを少しだけど感じることができたと思う。(中略)私たちは自分たちが気づかない所でもたくさん世界と関わっている。例えば、環境に悪いと知っていても夏になれば冷房を、冬になれば暖房をかける。ガーナの子どもたちのように低賃金で働いて、苦しい生活をしている人がいると知っていても、同じ商品なら安い方を買う。そうやって私たちは世界にたくさん影響を与えているのだ。ガーナやフィリピンのような貧困者のいる国をなくすために、今も続く争いをなくすために必要なのは、全員の「意識」だと思う。どんな人でも人間は必ずやさしさを持っているだろう。そのやさしさを助け合う心や平和を思う心に変えることができたなら、私の望む世界は必ずやってくると考えている。だから私は、心の中で「助け合いの精神」と「愛と平和」を唱え続けようと思う。私のその思いが、私の周囲の人々へ届き、海を越え、世界中の人々へ連鎖すると信じて。

〇私は、来年の2014年に行われる岡山でのユネスコ世界大会を運営委員として成功させたいと思っています。そのために、大阪の皆さんと協力し、岡山と大阪で準備が進んでいます。ユネスコの元アジア教育次長である千葉杲弘先生の講演を聞きました。先生のメッセージのなかで、「国際社会には予知できない問題や正解のない問題がたくさんある。その答えを関係するすべての国や人々を巻き込んで協力して答えを探す、参加型の解決が必要である」と言われていました。内乱状態が続く国ではたくさんの犠牲者が出ています。2012年にシリアでの取材中に亡くなった山本美香さんもそのひとりです。戦争は一方的に「黙らせよう」という意志から相手を攻撃するという行動につながっていると思います。(中略)高校生世界フォーラムでは、私は「シャーロック」を担当します。未来に写真や映像を残すための仕事です。一人ひとりのまじめな顔や笑っている顔、会場の全体の様子など、自分が大切だと思った瞬間を撮ります。私は写真を撮ることが好きでこの仕事を希望しましたが、目標である「未来のための残す」ということ以外にも、私なりの目標を見つけて活動したいと思います。今年の11月には8カ国が大阪に集まり、ディスカッションなどを行います。来年の11月は岡山で開催される世界フォーラムは、33カ国という大規模な大会になります。来年私は2年目のスタッフとして中心メンバーになれるように、今からしっかりと仕事を行い体と心で感じたいです。今は、岡山と大阪のつながりですが、来年には岡山と世界がつながるように、私は行動していきます。

〇私は来年、岡山で開かれる「ESDに関する国際会議高校生フォーラム」に向けての準備セミナーに中学生として参加させていただいています。私たち四人は唯一の中学生なのですが、緊張するということは全くありません。
第1回セミナーで岡山から来た私たちのバスが大阪の会場に到着したとき、まず目に入ったのは現地の高校生の方々がたくさん立たれていた光景でした。岡山から参加する学校の名前が書かれたボードを持ち、私たちがバスを降りるとみなさんが拍手でお出迎えしてくださいました。「歓迎されている」という実感のなか、セミナーで有意義な時間を過ごすことができました。過去のフォーラムの映像を見せていただき、ユネスコの精神を学んだ私たちは国際フォーラムに向けての目標を「いかに日本の高校生の心遣い、気さくさをゲストに伝えられるか」としました。ネットなど通信技術の普及により、人と直接コミュニケーションをとることを苦手とし、自分の殻に閉じこもりがちな若者が増えていることは世界的に重要な課題のひとつだと私は考えています。
8月に1泊2日で参加した第2回セミナーでは、自分の役割と担当する国が決まり、「フォーラムに向けて本格的に歯車が動き始めたんだ」と実感すると共に、気を引き締めていなければならないと思いました。話し合いの時も先輩方は自分の差別体験を語ってくださったり、国と国との関係などについてもしっかりした意見を持たれており、私も中学生だからと甘えていては駄目なのだと痛感しました。
ESDとは、「持続可能な社会をつくるために」何をどうすればいいかという人類の未来のための課題を扱っています。

11:10|Author:admin |コメント (0)トラックバック (0)

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