◆1998年1年E組24番の課題
分類1 | 分類2 | 分類3 | 注 | 市町村 |
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人物 | 不明 | 不明 | 不明 | 鞆町 |
設置場所 | 設置者 | タイトル | 作者 | 設置年 |
神社前 | 不明 | 親鸞聖人御像 | 不明 | 不明 |
題:「親鸞聖人御像」 場所:神社前 この像は、古くから町の人々に知られていてとても有名である。私は、この像の名前を見て親鸞と浄土真宗について調べることにした。法然の説いた他力本願の教えをさらに進めていったのが、弟子の親鸞である。法然が配流されたとき、親鸞も越後(新潟県)に流され、その後許されて常陸(茨城県)稲田に移り、約20年ここにとどまった。 |
親鸞の考え方は{歎異しょう(弟子の唯円がまとめた親鸞の語録)}に「善人なをもて往生をとぐ、いはんや悪人をや」とあるように、悪人正機説に代表されている。彼という「悪人」とは、自分の悪深く無力なことを自覚し、阿弥陀仏にすがる心をいだいた人をいい、そういう人間を救うこいこそ阿弥陀仏の本願であるから、信心さえすれば往生できるのだ、と親鸞は説いた。
親鸞の教えはとくに武士や農民の間に広まり、次の室町時代には一向一揆を起こすほどの力をもった。なお、親鸞には「教行信証」という著者がのこされている。