◆1998年1年C組03番の課題
分類1 |
分類2 |
分類3 |
注 |
市町村 |
人物 |
男 |
着衣 |
一人 |
土佐清水市 |
設置場所 |
設置者 |
タイトル |
作者 |
設置年 |
足摺岬 |
不明 |
中浜万次郎 |
不明 |
不明 |
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題:「中浜万次郎」
場所:足摺岬
これは、旅行の2日目に行った足摺岬で撮った写真です。私は、この銅像を見るまで、万次郎の存在を知りませんでした。「万次郎」と言えば、福山サントーク 2番街にある、「ジョン万次郎」というレストランしか分かりませんでした。私みたいに、万次郎について知らない人がいると思うので、万次郎について、紹介したいと思います。
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1927年、土佐の国中浜村谷前の漁師、悦介・母汐の次男として生まれました。しかし、万次郎が、9歳のとき父は死にました。1841正月5日足摺岬でのアジ、サバ漁中に漂流(10日間)九死に一生を得て、南海の孤島に漂着し143日間海草などを食べて生きながらえました。そこで、米国補鯨船ジョン・ハラウンド号に救助され、ホイットフィ-ルド船長の保護を受け、1842年万次郎1人捕鯨船員として、大西洋へ、乗り出しました。船長の故郷(マサチュ-ンセッツ州)で、英語、数学、測量、航海、造船などの教育を受けました。やがて、日本に帰り、それらの貴重な知識や技術、体験は幕末から明治にかけての日本の夜明けに、日米の友好をはじめとする国際交流の礎に多大の影響を与えています。足摺岬に建つジョン万次郎の像は、遠く第2の故郷アメリカフェアヘーブンに向かっ建っています…。