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『倉敷地域の科学教育を推進する会第3回講演』のご案内

倉敷地域の科学教育を推進する会第3回講演会

場所:清心女子高等学校

11月18日の日程
13:30 開会
13:40 SSH事業紹介(1)
岡山県立倉敷天城高等学校
14:00 SSH事業紹介(2)
ノートルダム学園清心中学校・清心女子高等学校
14:20 休憩
14:30 講演 「日本がダメなら世界があるさ」
講師:金沢大学大学院自然科学研究科 田崎 和江教授
15:50 質疑
16:00 閉会
講師 自己紹介

金沢大学大学院自然科学研究科 教授 田崎和江(Kazue TAZAKI)

私はたいして有名でもない教員養成大学を卒業し、大学院には全く行っていません。
卒業時にはすでに長女もいました。
「大学院に行きたいので」と保育所に言ったところ、「保育所は働くお母さんのためにあるのです。大学院なんてとんでもない」とこっぴどくしかられました。

1年間の東京都教諭の後、すぐに三朝温泉にある岡山大学温泉研究所の研究生になりました。
当時、岡山大学には大学院もなく、独学で粘土鉱物学を勉強し、電子顕微鏡技術を修得しました。
論文を2、3本書いたところで、地質学会研究奨励賞をいただきましたので、東京教育大学に学位論文を提出しました。
すでに須藤俊男先生は退職されており、下田右助教授が私の論文を評価して下さいましたが、審査委員は全く別の先生でした。
大学院に行っていないからという理由で3日間、専門の試験を5つと英語とドイツ語の試験が課されました。
当時3~4歳の長女を連れ、出雲の寝台に二人で寝て、10回以上東京に通いましたが、なかなか論文を見ていただけませんでした。

何はともあれ、学位を手にし、論文もたくさん書いて、賞までいただいたので、何か研究職があるだろうと10以上の職に応募しましたが、学閥も人脈も何もない私はどこからも相手にされませんでした。
岡山大学温泉研究所の研究生を10年間し、いよいよ35歳になろうとしている1980年に、「そんなに日本が私を必要としないならば世界があるさ」と思い、アメリカ、カナダ、ニュージーランド、イギリス、オーストラリアに手紙と論文別刷りを送りました。
すると、なんと全部の国からすぐに来なさいと返事が来たのです。
その中で、一番、最初に返事をくれたカナダの客員研究員(ENSAC)に行くことにしました。
そのとき、年齢制限の35歳までに、なんとあと2ヶ月しかありませんでした。

夫が、「一人でカナダに行き、思い切り研究してこい」と言ってくれたので、二人の子供を夫と母にお願いし、単身でカナダに渡りました。
はじめの半年は英語が聞き取れず、鳴かず飛ばずの研究生活でしたが、夜、ESLのクラスに通ったところ英語も怖くなくなりました。
私は昼間工場で働いて、夜、定時制高校に通って高校を卒業しましたので、夜学は全然つらくはなく、丈夫な身体に生んでくれた両親に感謝しました。
カナダでは、地質調査所(カルガリー)、マッギル大学(モントリオール)、ウエスターン・オンタリオ大学(ロンドン・オンタリオ)で9年半研究しました。
カナダ国内や国際学会で論文発表をすると、その場で、「うちの大学に来ないか」というオファーがありました。
その間、モントリオールで三女を出産し、6歳まで一人で育てました。
カナダの大学は保育所が完備されており、出産後の赤ん坊をすぐに預かってくれます。
その間、日本の大学や研究所の公募にも10以上応募しましたが、全くダメでした。
もう半年待って何も返事が来なかったら、カナダ国籍をとってカナダの研究職をと考え始めた頃、島根大学理学部で地球環境学のできる人 を探しているという情報が入りました。
そして、めでたく、44歳のときに三女を連れて日本に帰国しました。その頃、夫は愛媛大学に移っており、カナダと 日本との距離よりは、はるかに近くなりましたが、家族は常に3、4ヶ所に分かれて住んでいました。

島根大学のポストはベビーブーム対策の臨時増募の職であり、「ずーっ」と助教授であることがわかりました。
若い男性がどんどん教授になっていくのは面白くありません。
そこで、金沢大学に初めて地球環境学講座ができ、教授の公募があることを知りました。
もちろん、金沢大学には知り合いもいませんでしたが、49歳でチャレンジしましたところ、運良くホストに就くことができました。
地元の新聞には、私が赴任する前に、「金沢大学理学部唯一の初の女性教授」という記事が出たそうです。

子供三人は愛媛と島根に分け、私は単身で 金沢に来ました。
夫が定年退職後、金沢に来て、三女とも初めて同居しましたが、「自分のために勉強し、社会のために働きなさい」という言葉を残して、たった5年間の同居で夫はガンで他界しました。

現在、長女は和歌山に、次女はオーストラリア・シドニーに、三女はベトナム・ホーチミンに、私は犬と二 人(?)で金沢に暮らしています。

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