野外彫刻美術館 |
分類1 |
分類2 |
分類3 |
注 |
市町村 |
設置場所 |
設置者 |
タイトル |
作者 |
設置年月日 |
人物 |
男性 |
着衣 |
2人 |
アメリカ |
ネブラスカ |
不明 |
Two Brothers Statue |
Flangan |
不明 |
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題:「Two Brothers Statue」 場所:ネブラスカ 両親がいないまだ小さな子供たちのための学校としてアメリカでも有名なBoys Town内にある彫刻です。一人の男の子が小さな男の子をおんぶしているところです。Two Brothersは、ここのシンボルとなっています。Flanagan神父は、Howard Loomisというここに一番早く来た男の子がよく、おんぶしていたことを見てこの像を作ったと、言われています。両親もいないのに、ここで友達とあきらめずにがんばっていくなんて私には、かんがえられないほどすごいことです。現代の子供たちは、何をするのにも誰かに頼ってばかりであまり自分から進んで何かをしようとしているようには私は、思いません。ここ、Boys Townに来て彼らがしてきたことを見るまでは、私も、実はそうでした。いつも両親に全てを、まかせっぱなしで自分で何一つ成し遂げたことが、ありませんでした。しかし、ここに来て彼らが、私に教えてくれました、一人になっても何でもできるように、あきらめず努力しろ、ということを。私は、世界の恵まれている子供たちにも彼らのことを知ってもらえたら、とても嬉しく思います |
分類1 |
分類2 |
分類3 |
注 |
市町村 |
設置場所 |
設置者 |
タイトル |
作者 |
設置年月日 |
人物 |
混性 |
着衣 |
人と動物 |
イタリア |
ローマ |
不明 |
トレヴィの泉 |
不明 |
不明 |
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題:「トレヴィの泉」 場所:ローマ 道を歩いていると目の前に、立ちはだかる巨大な彫刻の泉、トレヴィの泉とよばれるもののがすぐに、目に飛び込んでくることでしょう。レンガの石で敷き詰まったこのあたりの風景は、この泉によって美しさがよりいっそう引き立てられます。この泉の名前の由来は、イタリア語で二差路という意味のトリヴィオからきているのです。かつては、3つの道がこの辺りで交差していたそうです。作者は残念ながら不明ですが、この素晴らしい泉をデザインした人は、18世紀の噴水コンクールの入選者、ニコラ・サルヴィです。ここには、いつも大勢のひとが集まっており大変にぎわっています。この泉の周りには、小さなお店がいくつかならんでいるだけでそのせいか、ふつうよりも大きく見られます。気分があまりよくない時にはここへきて少しの間だけでも泉を流れている水のせせらぎを聞いてみるときっと落ち着いた気持ちになれるでしょう |
分類1 |
分類2 |
分類3 |
注 |
市町村 |
設置場所 |
設置者 |
タイトル |
作者 |
設置年月日 |
人物 |
男性 |
着衣 |
1人 |
アメリカ |
サンフランシスコ |
不明 |
Joseph.B.Strauss |
Joseph.B.Strauss |
1937年 |
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題:「Joseph.B.Strauss」 場所:サンフランシスコ この彫刻は、アメリカの西海岸にあるサンフランシスコのゴールデンゲートブリッジの前に、建てられています。Joseph B.Straussは、このゴールデンゲートブリッジを1937年に建設した人です。彼は、1870年に生まれ1929年に、この橋を建設し始めました。 それから8年、1937年ついに永遠の虹として出来上がりました。この橋を建て終えたあと、1年経った1938年に、彼は亡くなられました。全長2737メートルもあるこの橋はただの橋ではなく都市と都市とを結ぶ、またそれらの信頼を深めるとても重大な役割を持っている大切な橋だと思います。彼の像の周りには、たくさんの綺麗な花が、植えられていて本当に美しいところです。彼の偉大な努力はこの像、そして真っ赤なこの橋によって物語られていることでしょう |
分類1 |
分類2 |
分類3 |
注 |
市町村 |
設置場所 |
設置者 |
タイトル |
作者 |
設置年月日 |
抽象物 |
石 |
建造物 |
イタリア |
ローマ |
不明 |
コンスタンティヌスの門 |
不明 |
4世紀初め |
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題:「コンスタンティヌスの凱旋門」 場所:ローマ ローマにあるコォッセオ前に建っているのはローマ最大の凱旋門です。これは、4世紀初めにコンスタンティヌス帝が、マクセンティウス帝をミルヴィオ橋の戦いで破ったことをたたえて建てられたものです。表面の見事なレリーフは、トラヤヌス帝、それからアウレリウス帝の建造物から持ってきたものが多いと、言われています。この凱旋門は、遠くから見ると一見ほかのものと変わりないごく普通の凱旋門のように思われますが、もっと近くに寄ってみてみると、細かい彫刻がたくさんあります。これは、道の中心にあるのではなくコロッセオのある周辺に建てられているため、それほど目立っていませんが、私たちには、知られていない未知の歴史を教えてくれるもののうちの一つだといえるでしょう。晴れの日にこの凱旋門の模様として彫られているたくさんの彫刻をじっくりと見にくると、また新しい発見があるかもしれません |
分類1 |
分類2 |
分類3 |
注 |
市町村 |
設置場所 |
設置者 |
タイトル |
作者 |
設置年月日 |
人物 |
男性 |
着衣 |
1人 |
イタリア |
ローマ |
不明 |
ヴィットリオ=エマヌエーレ2世 |
不明 |
1861年 |
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題:「ヴィットリオ=エマヌエーレ2世」 場所:ローマ この記念堂が建てられているところは、ローマのほぼ中心となる広場の正面で、高くそびえたちここを歩く人々すべての目を引きつけます。ここは、多くの通りが集中し、交通が最も混雑するところです。ヴィットリオ=エマヌエーレは1820年から1861年の人物でサルディニア、イタリア統一の中心的役割を果たした王国の王に父カルロ=アルベルトを継ぎ1849年から1861年まで即位していました。カヴール、トリノの貴族を登用し改革を断行しました。またオーストリアの干渉を排除し、1861年にイタリア王国を樹立、そして初代国王となりました。イタリア王国についての説明をここで簡単にしておきます。1860年、中部イタリア併合ガリバルディ、ニース出身の愛国者による南イタリア献上によりトリノで開いた国会で王国が、成立しました。またヴィットリオは国父・誠実王と呼ばれていたそうです。記念堂の中心には、二人の警備員が立っていて毎日人がたえません |