野外彫刻美術館 |
分類1 |
分類2 |
分類3 |
注 |
市町村 |
設置場所 |
設置者 |
タイトル |
作者 |
設置年月日 |
人 |
不明 |
不明 |
原爆の被害にあった人を抽象的にあらわした |
広島市 |
平和公園 |
原爆犠牲ヒロシマの碑建設委員会 |
原爆犠牲ヒロシマの碑 |
芥川永 |
昭和57年8月5日 |
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題:「原爆犠牲ヒロシマの碑」 芥川永 場所:広島県広島市平和公園内 この碑の由来は、広島の高校生が、元安川河床のフィールドワークを行い、原爆瓦の発掘調査をすすめてきた時、1981年(昭和56年)広島市の美観地区の構想は、原爆瓦の散乱は見苦しいので、平和記念公園の周辺の河床に砂を入れて外観をよくしたいというものだったので、広島平和ゼミナールの高校生たちはこの構想に危機感を抱き、全国各地の小・中、高等学校の児童生徒に呼びかけ、被爆瓦の保存を訴えたものです。 『瓦の一つ一つに生活を支えた重みがあった』(感想文から) これは、戦争体験を持たない若人達の碑です。ブロンズ像は、テ―マ「もどれない風」で昇華する魂を表現したものです。表に、被爆瓦を組み合わせたパネルと碑文、裏に発掘作業のレリーフ、被爆後の焦土広島の全景写真、これに、英文と和文の説明を加えた陶板がはめ込まれています。 碑銘:天が、 まっかに 燃えたとき わたしの からだは とかされた ヒロシマの 叫びを ともに 世界の人よ (安田女子高校生蔵田順子さん原案) 材質:ブロンズ |
分類1 |
分類2 |
分類3 |
注 |
市町村 |
設置場所 |
設置者 |
タイトル |
作者 |
設置年月日 |
人 |
女神 |
着衣 |
塔の一部 |
広島市 |
平和公園 |
広島県動員学徒等犠牲者の会 |
平和の女神像―動員学徒慰霊塔の下の像― |
円鍔勝三 |
昭和42年5月 |
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題:「平和の女神像―動員学徒慰霊塔の下の像―」 円鍔勝三 場所:広島県広島市平和記念公園内 この平和の女神像のある、動員学徒慰霊塔は、広島県動員学徒等犠牲の会が、昭和42年5月、原爆ドームの南側緑地に建立しました。太平洋戦争中、増産協力、建物疎開作業などの勤労奉仕に動員された学徒のうち、原爆の犠牲となった6,000人余人の学徒の霊を慰めようと願って建てられました。平和の女神像と、8羽のはとを配した末広がりの5層の塔で、中心柱に慰霊の灯明がついています。塔の左右に高さ2メートルのレリーフ4枚を、配し、図は、@食糧増産作業 A女子生徒の縫製作業 B工場における作業状況 C灯籠流しで、この図の中央に塔建立の由来を記しています。塔の背後の銅板には全国学徒出身校372校が、冥福を祈ってきざまれています。 高さ:12メートル 材質:塔(有田焼陶板仕上げ)像(ブロンズ) |
分類1 |
分類2 |
分類3 |
注 |
市町村 |
設置場所 |
設置者 |
タイトル |
作者 |
設置年月日 |
人 |
女 |
着衣 |
佐々木貞子 |
広島市 |
平和公園 |
広島平和を築く児童生徒の会 |
原爆の子の像(別称千羽鶴の塔) |
設計 菊池一雄 建設 広島平和を築く児童生徒の会 |
昭和33年5月5日 |
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題:原爆の子の像(別称千羽鶴の塔)
設計 菊池一雄 建設 広島平和を築く児童生徒の会 場所:広島県広島市平和公園内 この像の由来を話しますと、戦争が終わって10年たった昭和39年10月25日、市内幟町中学1年生の佐々木禎子さんが、「鶴を千羽折れば幸せがやってくる」と祈りながら、広島赤十字病院のベットで永眠しました。学友達は突然の原爆症の発生とその死に対して、深いショックを受け、今更のように原爆の恐怖をかみしめました。その後、禎子さんの霊を慰め、平和を祈る心から、像を作ろうという話が持ち上がりました。それが全国に伝わって大きな運動になり、ついに建設の実現を見たのです。塔の内部には、少年少女たちの気持ちに感動したノーベル賞の湯川秀樹博士が寄贈した古代の銅鐸を模した鐘がつられ、その下に金色の鶴がつるされ、風鈴式に音がでるようになっています。鐘の表に『千羽鶴』、裏に『地に空に平和を』と湯川博士自筆の文字が浮き彫りにされています。 高さ:9メートル 碑銘:これはぼくらの叫びです これはわたしたちの祈りです 世界に平和を きずくための 建設資金:全国3100校の生徒の共賛と、イギリスほか世界9ヶ国の支援により 材質:ブロンズ |
分類1 |
分類2 |
分類3 |
注 |
市町村 |
設置場所 |
設置者 |
タイトル |
作者 |
設置年月日 |
人 |
混性 |
着衣 |
母子 |
広島市 |
平和公園 |
広島平和記念像建設会 |
平和記念像 |
円鍔勝三 |
昭和52年8月2日 |
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題:「平和記念像」 円鍔勝三 場所:広島県広島市平和公園内 平和記念像は、原爆慰霊碑の後ろ西よりにひっそりと立っています。昭和52年8月2日、除幕式を行いました。全国の学童の募金や広島商工会議所などの協力によって、建設されたもので、1.8メートルの台座に、1.4メートルの母子像が立っています。台座は募金によりましたが、像は、円鍔勝三氏の寄贈によります。ちょうど原爆慰霊碑を見守る格好で若い母親に抱かれた子供が、平和のラッパを吹いて、その前に三日月がかかっています。製作者の円鍔氏は除幕に際して「親から子供へ、昨日よりも明日へ。三日月もやがて満月になる。新しい未来を求めて、平和にラッパを鳴らしたい」との意図を語りました。 材質:ブロンズ |
分類1 |
分類2 |
分類3 |
注 |
市町村 |
設置場所 |
設置者 |
タイトル |
作者 |
設置年月日 |
人 |
混性 |
着衣 |
母1子2 |
広島市 |
平和公園 |
広島市婦人連合会 |
嵐の中の母子像 |
本郷新 |
昭和35年8月5日 |
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題:「嵐の中の母子像」
本郷新 場所:広島県広島市平和記念公園 嵐の中の母子像は、平和公園の前庭とも言える原爆資料館前の、平和大通りの緑地帯にあります。右手でしっかりとみどり子を抱え、左手でもう一人の幼児をかばいながら、苦しみに耐えつつ前かがみの姿勢で生き抜こうとする母親の銅像です。自分の子を守り抜こうという母親の愛情が、最もよくあらわれている作品だといえるでしょう。この像は、ここにくる旅行客の目を一番ひきつける場所にあり、人々の関心を誘います。像のまわりには、公園内にある像と同じく、いつも色とりどりの折鶴で溢れかえっています。日本原水協が、第五回原水爆禁止世界大会を記念して広島市に贈った新制作協会の彫刻家本郷新氏の原型を、広島市婦人連合会が募金して建立しました。 材質:青銅 |