野外彫刻美術館 |
分類1 |
分類2 |
分類3 |
注 |
市町村 |
設置場所 |
設置者 |
タイトル |
作者 |
設置年月日 |
人物 |
女性 |
着物 |
子供 |
長崎 |
不明 |
不明 |
平和を祈る子 |
不明 |
不明 |
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題:「平和を祈る子」 場所:長崎 長崎にあります。女の子が手に折り鶴を持った像です。そのそばには、修学旅行生たちが置いていったたくさんの折り鶴があります。まわりには、緑がいっぱいあります。広島の原爆公園にも、同じように折り鶴を手にした子供の像があります。やはり、広島も、長崎も、世界に伝えたいことは、同じなのでしょう。その下にある御陰石の碑には、こう刻まれています。 これは、ぼくらの叫びです これは、わたしたちの祈りです 世界に平和をきずくための 未来を信じ、未来に生きる子供達が、自らの手で平和をきずく決意を表明し、それを多くの仲間達に広めて行った意義はとても大きなものがあると言えます。 |
分類1 |
分類2 |
分類3 |
注 |
市町村 |
設置場所 |
設置者 |
タイトル |
作者 |
設置年月日 |
人物 |
男性 |
白衣 |
青年 |
長崎 |
不明 |
不明 |
日本二十六聖人記念碑 |
不明 |
不明 |
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題:「日本二十六聖人記念碑」 日本二十六聖人記念館の前方にあります。長崎駅から徒歩5分『聖地・長崎』を広く世に知らせた殉教地、駅正面左手の高台西坂公園にあります。豊臣秀吉のバテレン追放令により、1597年ペトロ・バプチスタ神父以下スペイン神父・修道士6人、日本人20人がはりつけにされました。受刑者の中には12歳の少年、茨木ルイスもいて、信仰を捨てる変わりに、自由を約束されたが、それを断り、自らはりつけを望んだといいます。26人の殉教者は京都からの長い殉教の旅ののちにはりつけ台に並びました。この殉教は日本のキリシタン殉教史の始まりとされます。殉教者たちは、1862年、ローマ法皇によって、聖人に列されました。 |
分類1 |
分類2 |
分類3 |
注 |
市町村 |
設置場所 |
設置者 |
タイトル |
作者 |
設置年月日 |
人物 |
男性 |
裸 |
大人 |
長崎 |
平和公園 |
不明 |
平和祈念像 |
不明 |
1995年8月8日 |
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題:「平和祈念像」 場所:長崎平和公園 平和公園の北端に、高さ10メートルの男神像が座っています。この像は、1955年8月8日、国内外からの寄付金などで、原爆十周記念に完成しました。この像は、神と愛と慈悲を象徴し、上方を指さした右手は、原爆の脅威を、水平にのばした左手は、平和を、軽く閉じたまぶたは、原爆犠牲者の冥福を祈っていると言われています.毎年8月9日、この像の前で、原爆犠牲者慰念祭と平和祈念式が行われ、長崎市長が平和宣言を全世界に向かって発表しています。 しかし、長崎被爆から半世紀、冷戦終結後も世界の核保有国はさらに新たな核兵器を生産し、その実験を繰り返しています。早く、長崎の声が、全世界に届いてほしいです。 |
分類1 |
分類2 |
分類3 |
注 |
市町村 |
設置場所 |
設置者 |
タイトル |
作者 |
設置年月日 |
人物と鐘 |
混性 |
裸 |
子供 |
長崎 |
平和公園 |
不明 |
平和の鐘 |
不明 |
不明 |
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題:「平和の鐘」 場所:長崎平和公園 長崎の平和公園の東端に高さ5メートルの平和の鐘があります。4人の子供達が、鐘の上で輪になって鐘を持っています。まるで、天使のような子供達です。制作者は、どんなことを思ってこのデサインをしたのでしょうか。きっと、子供達の平和への願いをあらわしたかったにちがいありません。毎年、長崎に原子爆弾が投下された、8月9日、この平和の鐘は、子供達の願いをのせて、長崎に、母国日本に、そして、全世界に鳴り響きます。「もう、戦争はやめて。核実験はやめて。尊い命を奪うのはやめて。ナガサキを、繰り返さないで。」そう、訴えているのでしょう。しかし、鐘の音、子供達の願い、祈りは、今全世界には、届いていません。世界のどこかで、今もなお尊い命は奪われています。 |
分類1 |
分類2 |
分類3 |
注 |
市町村 |
設置場所 |
設置者 |
タイトル |
作者 |
設置年月日 |
人物 |
女性 |
着物 |
母子 |
長崎 |
グラバー園 |
不明 |
三浦環像 |
不明 |
不明 |
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題:「三浦環像」 場所:長崎 グラバー園は、オペラ「蝶々夫人」のゆかりの地。ヒロイン蝶々夫人を何度も演じ、悲恋物語を世界的に有名にしたオペラ歌手、三浦環の記念像が建てられています。港の見える丘で帰らぬ人を待っていた蝶々夫人。その指し示す指の先に見えていたものは、ピカトーンへの一途な思いだったにちがいありません。 〜三浦環〜 声楽家。東京生まれ。東京音楽学校卒業。帝国劇場歌劇部に入る。のち、欧米各地で、歌劇『蝶々夫人〈マダム=バタフライ〉』などに出演し、国際的な声価を得る。〈1884〜1946〉 グラバー園には、毎年多くの修学旅行生が訪れます。 |