野外彫刻美術館 |
分類1 |
分類2 |
分類3 |
注 |
市町村 |
設置場所 |
設置者 |
タイトル |
作者 |
設置年月日 |
不明 |
不明 |
不明 |
青銅の鳥居 |
新見市 |
新見八幡神社 |
不明 |
史跡青銅の鳥居 |
不明 |
不明 |
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題:「史跡青銅の鳥居」 場所:新見市内 船川八幡神社は新見藩主関家の入封後藩の守護神として、新見市新見新町の今市の地から遍座された。 この青銅鳥居は享保年間(1716〜1739)三代正富公のころ、奉献したと伝えられ約250年の歳月を経ている。 金文字高さは台石(亀腹)から笠木までが三米余で台輪型様式である。この鳥居の額の『八』のは、八幡神社の八を示すもので、八幡神社の使鳥である鳩を左右相対にあらわしている。 青銅の鳥居は全国的にも珍貴である。 新見八幡神社は新見市中心部の住宅地の中にある。秋祭りでの大名行列はあまりにも有名である。鳥居の上の小石は、観光客や地元の人々が幸せを祈って投げたものである。 また、幼稚園や小学校の遠足や課外授業で1度は訪れる所である。 |
分類1 |
分類2 |
分類3 |
注 |
市町村 |
設置場所 |
設置者 |
タイトル |
作者 |
設置年月日 |
不明 |
不明 |
不明 |
機関車 |
新見市 |
市内 |
不明 |
機関車 |
不明 |
不明 |
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題:「機関車」 場所:新見市内 SLが数十年ぶりに新見市を走った 伯備線は昭和3年開通。初めは、蒸気機関車であったが、伯備線の複線化と電化に伴い姿を消した。 蒸気機関車は石炭を炊くことによってできる蒸気によって動いていた。石炭を炊くと、機関車の煙突からばい煙が吹き出して牛や服にかかり真っ黒になっていた。いまでは、観光などのイベント以外には見ることができない。 鉄道の歴史を調べると、足立―新見間を石炭運搬のために活躍したSL三重連 は全国に名をはせ、連日数百人のファンで賑わった。 特にSL三重連というのは、全国的にも有名であった。 私は、かつてのSL機関車の姿を知らない。しかし、数年前にイベントとしてのを見たときには、とても感動した。また、全国からSLファンが集まり、いつもは静かなまちが、とても賑わっていたのを覚えている。ぜひもう一度、SLの走る姿を見てみたい |
分類1 |
分類2 |
分類3 |
注 |
市町村 |
設置場所 |
設置者 |
タイトル |
作者 |
設置年月日 |
不明 |
不明 |
不明 |
山室軍平の今日像 |
新見市 |
山室軍平 |
不明 |
山室軍平 |
不明 |
不明 |
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題:「山室軍平胸像」 場所:新見市内 阿哲郡が生んだ、日本救世軍の創設者山室軍平は、明治5年(1872年)哲多町則安村(現 哲郡哲多町本郷)に生まれた。8歳のとき、足守の質屋で叔父の杉本家の養子(後に離縁)となったが、14歳で上京、活版所の職工となり、翌年キリスト教に入信した。まもなく講義録で政治経済、法律を学んで平民伝導の志を立てた。 明治25年新島襄を慕って同志社に入学、同27年卒業を目前にして退学して、岡山に帰り、高梁教会所の伝道師となった。明治28年、33歳で救世軍に入り、翌年中尉に進み、54歳で司令官、58歳で中将となった。その間、結核事業の先駆となった救世軍療養所を設立して、ロンドンで開かれた救世軍万国大会に出席した。 また児童保護、廃娼運動などの実践的な社会事業に献身し、1万会をこえる説教講演を行って社会浄化に努めた。 この胸像は昭和10年に製作したものを、後年山室う民子氏が哲多町へ寄贈され、昭和45年本郷小学校に建設された。 |
分類1 |
分類2 |
分類3 |
注 |
市町村 |
設置場所 |
設置者 |
タイトル |
作者 |
設置年月日 |
人物 |
男 |
着衣 |
大名行列 |
新見市 |
市内 |
不明 |
大名行列像 |
不明 |
不明 |
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題:「大名行列像」 場所:新見市内 これは船川八幡宮の秋季大祭で行われる、'土下座祭'つまりは大名行列に加わる武士をあらわしたものである。 そもそも行列は、元禄11年の秋祭りに、当時の新見藩主関氏が祭礼に参加して、敬神崇拝の高揚と領民にお安穏、五穀の豊作を祈念して、併せて家臣の屯する地域の人々に移封入国時に行った公式の'大名行列'を仕立てさせ御神幸のみぎり、その先駆の任に当たらしめたのが始まりで、以来この日の行列に限り、一般人はもちろん、御家中人といえども'下座列拝'とし、人の立拝をも許さず、下座するまで行列を止め、また行列を横切った場合は、引き返すまで前進しないという厳しい仕来りにして、百年ばかり続け、さらに廃藩後は時の岡山県令高崎五六氏から朱書の許可をもらい今日まで世代これを守って、通算300に近い回数を重ねている。 つまり、積年の伝統が、いまどき例にない'下座列拝'の歴史になったわけで、依命地区民の強い魂気と、1000戸の氏子をはじめ、一般市民の理解と協力の賜物である。 |
分類1 |
分類2 |
分類3 |
注 |
市町村 |
設置場所 |
設置者 |
タイトル |
作者 |
設置年月日 |
生物 |
牛 |
不明 |
千屋牛 |
新見市 |
市内 |
不明 |
千屋牛 |
不明 |
不明 |
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題:「千屋牛」 場所:新見市内 爽やかな初秋の風が、豊かな牧草をそよがせ、朝霧が穏やかな高原の野面を流れてゆく。新見市の北端、中国山脈の背として、高梁川の源流にあたる千屋は、和牛「千屋牛」で高名である。 千屋牛は一朝一夕に現在のように改良されたものではなく、郷土の祖先の先駆的な人たちの、大きな努力によって成し遂げられた。千屋牛の特色は、放牧により、適度に筋肉がしまっており、調教は容易で、持久力があり、肉付きは早く、長生きする。和牛のなかでも資質優れたものといわれている。 |